今回は性欲をプロレスのエネルギーに変えてみたというお話。
2015年の秋ごろ、HMJMタートル今田監督とお酒を飲む機会に恵まれた。その年の2月に「劇場版プロレスキャノンボール2014」を公開し、その後全国の映画館を巡業して無事にソフト化にたどり着いた。そんな一段落した中、HMJM随一のプロレスファンである今田さんとはお酒を飲みながらプロレスとAVとドキュメンタリーの話で盛り上がり、とてもウマが合った。そんな中、今田さんにはその席でこう言われた。
「今成さんは実の部分をもっと出したほうが良い」と。
虚実皮膜入り乱れるプロレスの世界に生きる中、「劇場版プロレスキャノンボール2014」で、私と大家健のガンバレ☆プロレスチームは情けないまでの醜態をスクリーンに晒しました。カメラの前で先輩レスラーたちに説教され、精神崩壊をし、何をすればいいか分からなくなり、気づくとカメラの前で全裸になりました。レスラーであれば、もっとかっこよく振舞わなくてはならないかもしれないし、リング上で簡単に泣いてはいけないのかもしれない。超ダサいことをやってしまったと後になって気付いた。
それでも僕と大家は精神が撹乱した状態で、カメラを回し、試合をしなくてはならなかった。弱くて、力がない。他のチームが出す答えに対して、自分たちがレース中に行ったプロレスを比較すると自信喪失になった。だから、思ったことを口にするしか出来なかった。情けなかったが、情けないなりに食らいつくしかなかった。撮った素材を見返しても、ただただかっこ悪くて、どうしようもない映像で、自分で撮ってきた素材に対してどう編集したらいいか苦しんだ。あぁ、なんてバカなんだろうか。
プロキャノを見てくれた今田監督はそんなガンバレ☆プロレスチームに何かを感じてくれたようで。それが僕にもっと実の部分を出して勝負した方がいいというアドバイスになったのだと思う。
そこから僕は昨年9月にジ・アウトサイダーへの出場を宣言する。その背景には僕が負け癖があるというコンプレックスからスタートしている。僕は人生で勝利というものを手にした事が極めて少ない。高校時代に在籍していたレスリング部は弱小の部活動で、強くなるための環境がなかった。教えてくれるコーチがいなかったから、見よう見まねの練習しか出来なかったし、顧問の先生はレスリング経験のない、ただのプロレスファンだった。その顧問の先生とフォームが正しいのか、正しくないのか分からないタックルの練習や、スパーリングを日々繰り返した。しかし勝つために取り組んだことではなかったため、一度も勝利を手にすることなくレスリングの世界から身を引いた。そもそも勝負をするということから逸脱していた学生時代。これから勝負を仕掛けていかなきゃいけない自分にはしんどい過去だ。そんなコンプレックスや自分自身の弱い精神を叩き直すためのアウトサイダーへの挑戦だった。これも自分自身の中に眠る”実”の要素の一つであったように思う。
そして現在、ガンバレ☆プロレスのリングでは藤田ミノル選手率いるトモダチ軍という軍団と抗争をしている。事の発端は大家健の友人であった藤田ミノル選手がガンバレ☆プロレスに参戦すると、リング上で突然離婚をしたことをカミングアウトしたのだ。さらに通っている専門学校の留年、パチンコ屋の寮生活など、プロレス活動を続けることで、泥沼の人生を歩み始めたことを告げ始めた。そんな藤田ミノルは逆恨みという怨念のエネルギーを持って、ガンプロに参戦し続けるようになるのです。
そこで、藤田選手はかつて自身がプロレス人生で関わってきた人間たちを自分の配下に置き、一つのチームを作ります。それがトモダチ軍です。その中に、バンビ選手という女子プロレスラーがいました。バンビ選手はガンプロの総大将の大家健とDDT時代に同期だったという間柄ですが、それを裏切って藤田ミノル側についてしまいます。昨年9月の新宿FACE大会でその裏切りの事件がリング上で、しかも試合中に起こっていたんですが、僕は裏切られたことよりも、バンビ選手のカラダに目がいってしまいました。なんというか、とてもいやらしいのです。私の記憶には若かりしき頃の細身のカラダで戦っていたバンビ選手のイメージしかなかったのですが、熟年に差し掛かったバンビ選手をリングサイドの近距離でまじまじと見ると、妖艶な色気と、太ましい太ももがセクシーなボンテージのコスチュームから露わになっており、こちらに性的興奮を促すのです。
僕の股間がどうにかなってしまいそうでした。もしかしたら何かが溢れてしまっていたかもしれない。目を逸らしたくても逸らせない。リング上で自軍のチームが負けているのにも関わらず、僕はバンビ選手に視線を注いでいました。僕にとって、バンビ選手はそのムチムチ具合とか、顔つきとか、その他のサムシング込みでドストライクだったのです。
そして今年1月、藤田選手の策略によってバンビ選手とのシングルマッチが組まれたのです。しかもこの試合はバンビ選手が入場時に手にしているムチを公認凶器として認めさせるという僕にとっては勝ち目の少ない試合が用意されてしまいました。アメとムチという諺にちなんで、バンビ選手のムチに対して、私の公認凶器はアメ玉でした。しかし私はそれを逆手にとりました。私はそんな不公平なルールに関してはおかまいなしでした。ムチ攻撃は確かに痛いだろうけど、受けてみたら意外と気持ちがいいかもしれない、ムチは未体験なだけに僕が未体験ゾーンに突入し、覚醒する可能性に賭けたのです。
ムチ攻撃は想像以上に痛い。逆水平チョップの痛みが、平面で伝わってくるのではなく、より鋭く、どのタイミングでそれが来るかも分からない感じで襲ってくるのです。しかしこのシチュエーションはかつてないほど興奮しました。東京の外れにある北区王子にある狭いライブハウスの中に100人以上のお客を集め、ムチでいたぶられるというシチュエーションに。ムチ攻撃は次第に興奮へと変わりました。痛いという感覚はそれを飛び越えて、ある種の快楽と飛躍していきました。
これはあくまで闘いのプロレスなんだ、そんな淫らな感覚をリングで感じてはいけないのではないか。しかしあの猪木さんが言っていたではないか、
猪木「・・・プロレスはセックスに非常によく似ている。体を通して互いに剌激し合い、相手の反応を見ながら次の手を打つ。相手もまた様々な技術で応酬してくる。いい相手とセックスすれば自分も高まり、素晴らしい快楽と解放感を得ることが出来る。プロレスの場合、それを支える観客の視線も必要条件になる。私にとってジェット・シンはいいセックスが出来る相手のようなものだった。闘うほどにテンションが上がり、快感が増して行くような感じで・・・私も燃えたのである。セックスはどうかわからないが、格闘技では身体に残った感覚は消えない。闘って『こいつは凄い』と感じたことは絶対なのである」
このバンビ戦では僕の中でこの猪木イズムを都合よく解釈し、一般的なリテラシーは僕の脳内から消え去り、新たな快感を覚えた喜ぶで満たされたのです。恐らくこれも闘魂という概念の一つでしょう。策士策に溺れる。策士たちが集まったトモダチ軍は策によって私のMっ気を否、闘魂を開化させてしまったのです。
その後、バンビ選手とは抗争が続きました。勝敗は連敗続きでしたが、明らかにムードは今成の性的なエネルギーが本物であることをお客さんが察し、それが熱烈な応援に変わっていったように思えます。ここで不思議なのはお客さんが付いてきたことです。僕の欲が暴走し、お客さんを置いてけぼりにしているような表現もあるのですが、お客さんは僕の突き抜けた感情を支持してくれました。今田さんのアドバイスが染みてきます。僕の根底に眠る”実の要素”はフェティッシュなものであるにも関わらず、お客さんはそれに全力で参加してきた。それはお客さんがそこに今成の感情に嘘がないことを感じ取ってくれたからなのかもしれません。これが猪木さんの言うところの必要条件としての観客の視線かどうかは分かりませんが、その視線をもそのエネルギーの循環にプラス出来たことは確かでした。
続く3月、バンビ選手と対戦予定でしたが、バンビ選手は残念ながら急遽欠場になってしまいました。私は自分のエネルギーをぶつけられない、そんな失意で日々の生活に支障が出ていました。しかし神様は私に微笑みました。代替選手に体重100kgの巨漢女子レスラー、バイパー選手に決まったのです。バイパー選手はスコットランド出身で体重100kgに対して、顔がめちゃくちゃ可愛いというたまらないギャップのビジュアルが強烈な選手でした。
バイパー戦は僕のプロレス人生のハイライトになりました。控え室で一人そわそわしていると、大勢のレスラーが「今成さん、今日はなんだか輝いてますよ」と僕に声をかけてくるのです。僕のエネルギーが完全にオーラとなって漂っていました。試合はバイパー選手に圧殺されました。体重差30kg以上。如何ともしがたい体重差でした。しかしながら、この内からフツフツと湧き上がる感情、エネルギーを外に出すことには成功したのです。多くの人に1月のバンビ戦、3月のバイパー戦は今成のベストマッチだと言われたことが物語っています。
かつて、太っている女性が好きかもしれないという感情を押し殺していた自分はそこにいませんでした。むしろそのエネルギーを創造的に働かせるキッカケをプロレスによって、与えられた感さえある。当たり前のように男女混合の試合が組まれるプロレスにおいて、一人の男の心が解放されたのです。好きなものは好きと言っていい、好きな人間には好きと言っていい、好きな相手には好きだというエネルギーをぶつけていいのです。開き直った人間は強くなれるということを僕は身を持って痛感しました。
人は自分の中に眠るフェティッシュなエネルギーを解放すべきだ。それを何かしらにぶつける対象を見つけるべきでしょう。
解放していない、自分の中に眠るエネルギーは存在しています。まだまだ僕の闘いは続いてくのです。