膣にピアス vol.6
2016-04-19
コラムニスト:ユキちゃん(NDG)

「25歳になったら脱ぐのやめる」


さて、いままで自己紹介もろくにしないままこのコラムを連載させていただいておりましたが、今回はいまの私自身のことについて書かせていただければと思います。


私はいま Nature Danger Gang(以下 NDG)というバンドに属して活動しております。そのライブ中に、ライブの盛り上がりに乗じて上半身裸になり両乳を露わにする、というパフォーマンスをします。
これを、自身の25歳の誕生日、2016年4月の20日より、辞めようと思っています。


まずは脱ぐようになるまでの経緯について話させてください。
昔から、裸になることに抵抗が少ない子供でした。父や母が家の中では裸でうろつくことがある家庭だったからかもしれません。
小学校でスカートめくりが流行れば「私はパンツぐらい大丈夫!」とアピールしてみせたり、男女の着替え場所が別れる中学時代も別に「ブラジャーぐらい見えてもいいっしょ!」と教室内で着替えたり、高校時代文化祭で映画を作ることになった時も、スカートがめくれることも厭わず床に這いつくばってカメラを回していました。
自身の裸や下着姿が周りにどれくらいの影響を与えるものなのかを考えることはあっても、恥ずかしい・見られたくないという感情はあまりありませんでした。
私のパンチラであの人は「汚いものみせるな
って不快に思うかもしれない、と思って遠慮することはあっても、じゃあ自身は、と問われたときに、不快に感じることも快感を感じることも、見せたい感情も見られたい感情もなかったのです。
マナーとして、むやみやたらに他人に下着姿は見せないものであって、それ以上ができる仲間の前であれば、時も場所も問わず下着姿を見せることに抵抗がありませんでした。


20歳前後からその感覚は少し変わりました。セックスを体験することで、自身の肉体が男性に性的興奮をもたらすことのあるものだということを自覚しました。
しかしながら、それ故男性に性的に見られることが恥ずかしいとか、嫌であるとかいう感情は生まれませんでした。
初めてのセックスのときに、「こんなの恥ずかしいよ…やだ…」とちょっとえっちな少女漫画で勉強したよろしく呟いてみたものの、内心はいたって冷静で、「なんだこれなにも恥ずかしくないわ。むしろいまからセックスするぞっていうのに何が恥ずかしいんじゃ」と、なんの恥も持ち合わせることができませんでした。
むしろ自分の肉のふくらみや、肌をさらけ出した姿に最愛の相手が興奮しているという事実に胸が湧き上がるようで、自身も興奮を覚えました。
「何故、自分の反応は少女漫画で勉強した通りではないのだろう、あれはオーソドックスな女性の反応だと思っていたのに」という疑問が自分の中に生じましたが、そのときは「見られちゃうの恥ずかしいよ」タイプなのではなく、「ウフフ、 まだ何もしてないのにもうここがこんなになってるわよ」タイプだったのだと自身を納得させました。
しかし、性的羞恥心や性的嫌悪感を持ち合わせない自分への違和感は日常生活においても見受けられることとなりました。大学の学生サロンで見かけた名前も知らない女の子の生足をポロリと何気なく「あれはやらしいわぁ」と褒めれば、周りにいる同性の友人から「そんな風に見るのやめなって」とたしなめられたり、当人の女の子から「そんなことを言われて傷ついた」みたいな話を聞くことが起こるようになりました。その女性の感覚が 私には理解できなかったのです。
「素敵なお洋服ですね」と褒めるのと一緒ぐらいのラフな感覚で「いやらしい脚ですね」と思っただけなのに、男性陣は「よく分かってる」「あれはやばい」と軽く同意し受け流してくれるのに、そんなことにひどく感情的になってしまう女性的な感覚がどうも理解できなかったのです。もちろんそこにはコンプレックスの問題が潜んでいるとか、それこそ私が自身のパンチラを不快に思う人がいるかも、と危惧してみせたマナーの問題とか、最愛の人に欲情されるならまだしもお前なんかに…という恋愛的感情問題とか、そういうものを含んでいるのは重々承知なのですけれど、それにつけてもパンチラだとかあの人乳でかいとか、そういう単純な「エロい」だけをそこまで嫌悪してしまう気持ちというものが、私にはどうも備わっていなかったようなのです。
ただ、この問題の答えを他人に求めたところで、「本人が嫌なものは嫌なのだからしょうがない」 に尽きると、私自身も心からそう思ったので、この疑問を解消しようとか、議論しようとかいう気持ちはありませんでした。
ただ、私自身は、「お尻がかわいいね」とか、「くびれ がすごいキレイだね」と、下心満載で褒められたとしても、まるでファッションを褒められたかの如く、「なるほど。私のお尻とくびれは他人様からみてもイケる部類なのね。人前に出して恥ずかしくないものなのね」という前向きなとらえ方をするようになりました。


そんな私が初めて人前で脱衣したのは21歳で参加したとあるクラブイベントでした。めちゃめちゃ好きなDJの人のLIVEがあるとのことで、夜行バスで単身で大阪まで遊びに行きました。知り合いはいれど友達はいないという状況の中で、ただただ好きな音楽に身を任せて踊っていると、盛りあがってきたのか、周りで踊っていた人たちが次々とステージに引き上げられていきました。ステージに引き上げられた人たちは、ただのお客さんであったろうに、ステージにあがるに相応しく、華麗なステップを披露してみせたり妖艶に踊ってみせたりして、会場はより一層盛り上がりました。最前寄りで踊っていた私も「きっとこのままだと引き上げられる…でも私踊れないし…ここで盛り下げたくない、何もできない女だと思われたくない…!
もんもんと考えたまま踊っていると、やはり私もステージに引 き上げられました。
しばらくドキドキしながらタイミングを見計らい、思い切って着ていたタンクトップを脱ぎ捨てました。その日はタンクトップからチラ見えしてもいいように、赤いブラジャーを身につけていたのです。ブラジャーはいわゆる見せブラで、ブラジャ に非はないし、貧乳ゆえ乳で盛り上げることができなくても、私には人様に褒められたくびれがある、と打算して脱いでみせました。
結果、会場は盛り上がり、しばらくして私はステージから降ろされ、みんなから肩を叩かれたり、驚きの声をかけられたりしました。 「よく脱いだね!」「どうして脱いだの!?」「めっちゃよかったよ!」 後からステージに引きあげてくれた人も寄ってきて、称賛とお礼の言葉も述べられました。
その日私は身にしみて理解しました。肌をさらけ出すことはイベントにおいて盛り上がる要素の一つであること、また自身の肉体が客観的に見ても見られないものではないこと、 尚且つその場で脱ぐことのできる女の子の価値がいかほどなのかということを。


しばらくして、私は今所属しているバンド、NDGのライブに誘われます。その第一回目のライブはそれはそれはすごいものでした。NDGのリーダーであり当時の NDGバンドメンバーでは唯一の知人だった関さんが最終的に全裸になっていたのも面白かったのですが、何よりもそれよりも、その全裸の関さんにも引けを取らない、ステージに立つ2人の女性に目を奪われました。
一人は星条旗柄の水着にレザージャケットを羽織り、サングラスをかけ、その力強そうな肉体で暴れまわり、一人は真っ赤なブラジャーとTバックのみを身につけ、緑色のロングヘアーを揺らしながら、その長い手足を思う存分振り回していました。
女性でありながら、かわいさや美しさを武器にステージに立つのではなく、男性のように、そのキャラクター自体を武器にしてステージに立っている様は衝撃的でした。しかも2人の女性はある程度肌を露わにしていたにも関わらず、そこにはいやらしさがなかったのです。
終演後、私はあの女性らの素晴らしさを一緒にいた友人に熱く語りました。そ して以前から持ち続けていた疑問にも何か合点がいったような気がしました。
「普通の女性のお尻を褒めても受け入れられないのは、きっと私じゃなくて何お尻みてるのよ!ということだったんだ。否応なしにキャラクターがまず全面にでているあの2人になら、例えお尻を褒めても、きっと嫌な顔はされないだろう


後日、一方の星条旗柄の水着を着ていた方の子が辞めるので代わりに入らないか、とリーダーの関さんに誘われ、私は即答で加入を決意します。
ライブの前まで何度か関さんとやり取りを交わし、私はライブでのパフォーマンスについて真剣に悩みました。前回のライブで見た2人の女性の姿が衝撃的だっただけに、次回のライブも私が受けたようなあの衝撃感を期待してくる人が多いだろう。
「今度は私が衝撃を与える存在にならなければ。でもやっぱり私は歌も歌えないし、踊れないし、ステージに立って受けたのは脱いだ時だけ …尚且つただ脱いでちょっとすごいではもう通用しない、脱いでいてももはやいやらしいなどと思われないくらい、エロが爽快な褒め言葉になるぐらいにならなければ…
いろいろ考えた結果、おむつにニップレスに首輪をはめて出ることになりました。2人の女性と比較したときに私の方が少女性、もっといえば幼女性があるので、その対比が使えると判断したのと、また2人の女性も脱ぎっぷりがよかったけれど、更に脱いでくる女がいたら面白いのではないかと考えたのです。
結果、初めてのライブは好評で、私は更にライブに参加することになり、そのうちセーラー服を纏うようになり、ライブの盛り上がりに乗じて乳を露出するようになりました。NDGは男も女も脱ぐバンドとして名が知れるようになりました。


「どうして脱ぐの?」____脱ぐ以外のパフォーマンスを持ち合わせていなかったか ら。
「脱いで見られるのが好きなの?」_____ライブが盛り上がったときの達成感や高 揚感はあるけれど、それ以上でもそれ以下でもない。
「下は脱がないの?」____ハプニングとしてのマンチラぐらいは盛り上がるかもし れないけど、他人を盛り上げられる女性器じゃないから脱がない。


さまざまな場所で脱いできました。会場のお客さん全員にどん引きされた遠征ライブでも、おおきな野外イベントでも、カメラが回っているライブでも、ライブじゃなくて一人で参加したイベントでも。
「脱げ」という期待値をみて、見渡して、それに応じて脱いできました。エロ本に勝手に載せられたり、インターネットの誹謗中傷を受けたり、両親にばれて大変だったり、会場でセクハラまがいのこともされたりもしました。そのたびにこういった質問を受け、そのたびに真面目に返答してきました。


しばらく活動を続けるようになったころ、「でも私25歳までしか脱がないから」と言いだすようになりました。脱衣のきっかけも、NDGとして脱ぐようになったのも、すべて打算的に、なにもかも客観的に考えて導きだした結果でした。
盛りあがりに乗じて乳を露わにする私のパフォーマンスは続けるほどにお約束感が増し、衝撃は薄れていくものであることを、私が一番知っていました。爆乳であるとか、乳首がめちゃくちゃキレイだとかの乳に関しての魅力的要素を特に持っていないこと、私が武器の一部にしたくびれも、ある程度は見れるものであるにせよ、やはり一目で分かるほどの特殊性を備えたものではないことを考えると、いつまでも続けられるほどの武器にはなりえないと思ったのです。脱いだその先に何か特典がある脱衣ではなく、私は脱衣そのものをパフォーマンスにしてきましたから。
また、年齢的な区切りを設けたのも客観的に考えての判断でした。私がNDGに加入したのは22歳の頃でした。男と女が脱ぐバンドだと話題になっている以上、じゃあ脱いでいる女はどんな女なんだというのは、人々の興味の対象になるものでした。それをどんな容姿であれ、26歳・27歳…はたまた30歳を過ぎた女がやっているものだと人々が知った時に、それはそれでまた別のグラウンドからの興味をそそることになるかもしれませんが、NDGが活動する若者が多いバンドシーン、クラブシーンにおいては魅力的ではないと判断したのです。
そしてNDGは今年で3周年を迎えます。今まで脱いできたかいあってか、たくさんのイベントにださせていただいてきました。一昨年の正月にはフジTVにださせていただいたり、昨年の冬にも恵比寿リキッドルームという大きなライブハウスでのライブに臨むこともできました。
メンバーの脱退などの変化も乗り越えながら、先日からはMVの公開もあり、今年はより勢力的に活動の範囲を広げていく予定です。その上で、脱衣という行為は今後の活動の障害になることは明らかでした。いままではなんとなく許容されてきましたが、これまでは計画性はなかったと言い訳逃れしてきましたが、それもそろそろ通用しないでしょう。もう NDG というバンドで私が脱ぐことで与えられる価値や衝撃は、これ以上はでてこないのです。
私という存在がNDGの活動の障害になることがあってはならないのです。何よりもNDGが大事です。だからNDGのことを第一に考えて「25歳までしか脱がない」という選択をとります。


「脱がない」と宣言をすると、いろいろな人からいろいろな意見をいただきました。
「ユキちゃんなら脱がなくてもやっていけるよ」
「ていうか今すぐ脱ぐのやめてもいいのに」
「年齢なんて関係ないのに。もったいないよ」
「脱がないっていったらお客さん減るんじゃない」
いろいろな意見をいただく度に、そうだね、ありがとう。と笑ってこたえました。
どの意見もいままで脱いで活動してきた私を知ってくれていて、見てきてくれていて、なんならかっこいいとか、すごいとか、いい印象を持ってくれていた上での意見でした。更に言えばつらくないかとか、頑張りすぎじゃないかとか、心配して身を案じて、愛情を持って考えてくれての意見でした。
それは私には嬉しくて、ありがたくて、ありがとうと笑って答えることしかできませんでしたが、今日ここで、脱がないことに対する私の本音の気持ちを載せておきます。NDGというバンドの一員として取った選択ですから、と散々格好をつける私自身の個人的な感情を吐き出しておきます。


正直、今後「脱がない」のが怖いです。怖くて怖くてたまりません。前述したように、 脱ぐのも見られるのも対してこだわらない女ではありましたが、だとしても、ライブ中ここぞというときに脱いでみせたときの、会場がどっと沸いたあの達成感や高揚感はめちゃくちゃ気持ちのいいものでした。でしたし、何よりもやっぱり武器でした。歌も歌えず、 踊りも踊れず、たいした容姿も持ち合わせていない私がステージに自信をもって両足をつけていられる唯一の武器でした。また脱げる女であること、それに付加して嫉妬や羨望の対象になることにある程度の優越感も覚えました。
以前クラブでとある男性といちゃいちゃしながら酒を飲んでいたら、Twitter に「私の元彼とライブで乳を出す女がいちゃついていて不快」という内容のツイートがあげられていたと知人に教えてもらって思わずガッツ ポーズしたこともありました。そしてライブ中に脱ぐことが面白としてうけることが幸せでした。
脱ぐことを他のメンバーが嫌がりもせず、面白として更にいじってくれること、 またお客さんから、「いやらしくない!」と感想がもらえることが嬉しかったです。特に「いやらしくない!」の感想は NDG の第一回目のライブでステージに立っていたあの女性2人から私が抱いた感想ですので、ああいう風に私もみんなから見えているのかと、嬉しかったのです。そういったことを「脱がない」ことで失うのがめちゃめちゃ怖いのです。
脱がないからといって私のみてくれが劇的によくなったり、歌がうまくなったり、ダンスがうまくなったりするわけではないのですから。これからは武器なしでステージで戦っていくのですから。


しかしながら、バンドが第一というテイで取った選択でありながら、「25歳で脱がない」ということが私に与える恩恵の多さよ!
私も一人の女性ですので、所詮は一人の女の子ですので、この年齢になると、結婚とか出産とか考えるものです。いつまでも脱いでいる女には、そういう類のものが遠ざかっていく未来しか見えません。25歳までは「脱げる特殊な私かっこいい!」だったのが、25歳が近付くにつれてそれがいかに周りの女性と比べて自身のマイナス要素であるかということをひしひしと感じさせられるようになりました。
しかしここでいま「脱がない」という選択肢をとっておけば、「25歳まではやんちゃしたけど、もう貴方の前でしか脱がないぞ♡」というセールスポイントに早変わりしてしまうのです。
エロ本に載った時には「もうおばあちゃんに孫見せれない」と悲観して泣いたものですが、ここから、ここからがセールスポイントを手に入れた私の勝負所なのです。
一人の25歳の女として相応しい魅力を手に入れたのです。
さらにこれはNDGの一員としても前向きな話になります。これまで悲劇のヒロインの如くNDGのために脱がない私…をアピールさせていただきましたが、そうではないのです。
「脱げる女」の脱退と、「昔脱いでたけど今は脱がない女」という新たなメンバーの加入なのです。武器をなくしたのではなく、後ろ手に武器を持ち替えるのです。
あぁ我ながらなんという打算さ、客観性の高さ。「昔脱いでたけど今は脱がない女」にはなんでもできます。もう脱がないから純情さも清純さも与えられるし、アイドルにもなれちゃうかもしれない。どんなメディアにもなんの後ろめたさも抱えずに出れちゃう。
尚且つ脱いでた過去は過去なので、そのこともどんどん利用します。これからこの価値をどう広げようかと考えただけでわくわくします。ともあれひとまずは、脱ぐことに浸って怠けてたぶん、いままでよりも歌って、踊って、ステージングについてもしっかり考えたり、並みの努力はさせていただきます。
そんなわけで、「25歳になったら脱がなくなったユキちゃん」に、今後もご期待ください。でも私打算的な女だから、「脱がない」って言っておいて…の面白さについても、すぐ考えちゃうんだろうなぁ。


NATURE DANGER GANG「桜おじさん」
ユキちゃん(NDG)プロフィール

1991年生まれ。Nature Danger Gangのメンバー。

過激なパフォーマンスが話題を呼び、みんくちゃんねるの記事になったりエロ本の袋とじになるなどする。
一方でNDG加入前から続けているブログでは恋愛観などを赤裸々に綴っており、若者からの支持も得ている。
みんなの彼女でみんなのお母さん。喋る雪見大福。

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