「クリスマスの思い出」
クリスマスといっても私の家はキリスト教なので、他の、大多数の日本人の皆様とは違って、イブの夜に教会に行き、礼拝に参加し、キャロリングで近所を賛美して周って、家族とおいしい夕食を食べて過ごします。性の6時間(日本国内で1年間で最もセックスする人が多いと言われている6時間。12/24のPM9時〜12/25のAM3時)にはすっかりしっかり布団にはいってすやすや寝ていることがほとんどでした。イエス・キリストが生まれた2000年前の夜に思いを馳せて過ごすのです。なんたる清らかさ。
当時付き合っていた彼氏様方には、12月になる前に、バイトのシフト提出用紙に×を書き込む前に、あらかじめ伝えて断っておいた過去の方が多かったです。
「ごめんね。私、クリスマスは教会に行くから、一緒に過ごせないから。」
あぁなんたる清らかさ。潔さ。格好よさ。
こんななんちゃってクリスチャンを気取り、自身に自惚れている私が、どうしようもなく日本人らしい、日本人に乗っ取った、恋人たちのクリスマスをしたかった過去の話。
当時は20歳。前回のコラムにも登場した独特の雰囲気をもつ彼氏とお付き合いしていた頃でした。この独特の雰囲気の彼は付き合った女とはだいたい3カ月はもたないタイプの男性でした。デートといえば、大学の放課後に誰もいなくなった教室で少しいやらしいことをするか、ブックオフにいくか、古着屋に遊びに行くかぐらいで、遊園地に行ったりだとかのデートらしいデートはあまりしたことがありませんでした。もちろんどれもこれも恋人同士の男女が二人で過ごしているのですから、傍からみればきっと立派なデートだったと思いますが、何より本人たちがデートと称することをあまりしませんでした。「友達と遊びにいくようにライトに」という感覚で気軽に会える恋人関係を大事にしていましたし、少なくとも私はそういう付き合い方をできる自分に少し酔っていました。
私はそういう自分に少し酔っていましたが、彼の方はそれが普通でした。それが普通である故、女と3カ月で別れてしまうタイプの男性だったのですが。
街が色めき立つ12月初旬。当時通学路の乗り換え駅に利用していた横浜はイルミネーションに包まれており、それはそれは華やかでした。空気はだんだんと冷え込み、恋人同士は手と手をつないで闊歩する。そうすることが食事をすることと同じぐらい自然なことだと言わんばかりに。
一方で私たちは、さむいさむいと呟きながら手をそれぞれのポケットにつっこみ、声が届くぐらいの距離をお互いのペースで歩く。くっついて歩く恋人たちを横目で小馬鹿にしながら、その横横を巧みにすり抜ける。イルミネーションから少し離れて煙草の火が赤く灯っている。
恋人同士が際立つ冬の季節。そういうドライな付き合い方に酔っていただけの自分は、やはりきらびやかな恋人同士のあり方を少し羨ましくも思っていました。自慢の恋人でありましたから、自慢したかったのです。いかにも「私たち、特別な男女関係にあるんですよ」と、繋いだ手を振って歩きたい気持ちもあったのです。
そしてそういった顕示欲とは別に、自身への過信もありました。その年の12月で私と彼は付き合って1年と3カ月を迎えていました。ろくに女性と長続きしなかった彼は「こんなに長く付き合ったのはユキちゃんが初めてだ。」とよく口にし、私がそういえば、と思い出したように記念日を伝えるたびに「なげぇな!」と驚いてくれたものでした。その反応が私には喜ばしく、「そうよ。貴方とこんなに長く付き合っているのは私ぐらいなものよ!彼に淡い恋心を抱いていた女共、ざまあみろ!」と思っていました。
この先別れることがあっても、むしろいつかは別れるだろうけど、彼と一番特別な時間を過ごすのは、彼に一番愛を与えられるのはこの私である、と信じてやまなかったのです。
そんな私は彼に、まるで一般的な、そんじょそこらの恋人同士がするように、尋ねます。
「ねぇ、クリスマスって何か予定ある?」
「ないけど特に。なんで?」
なんで、だと?恋人の癖にクリスマスに予定を尋ねられて何故かと問うなんて。恋人同士なのに。なんて最高なんだ。さすが私の恋人。
「クリスマスしようよ。イブの日は私教会にいくのだけれど。せっかくだから25日一緒に過ごしたいと思って。」
「いまさら?」彼は笑う。
「せっかくクリスマスなんだし。普通の恋人みたいに過ごそうよ。ホテル泊まってケーキ食べてシャンパン開けようよ!たまには恋人らしいことするのもいいじゃん!それはそれで面白そうじゃん!」
あくまで本気で言ってるんじゃないのよ、っていうふうを装いながら半笑い気味に。似たような半笑いを浮かべながら、彼は「いいよ。」と答えてくれました。
25日。昼間に街をぶらついた後、酒屋でシャンパンを、コンビニでケーキを買い、渋谷に向かいました。性の6時間本番の24日とは違い、ラブホテル街には空室の文字が思いのほか目立ちました。なるべくチェックアウトが遅いホテルを選んで中へ。他愛もない話をしながら、手早く風呂の準備を済ませる。もちろんお風呂は泡風呂使用に。さぁさっそくケーキとシャンパンを、というところでシャンパングラスがないこと気づき、爆笑。さすがにコーヒーカップでは格好がつかないし、何より普通のカップルはちゃんと用意するでしょ!とフロントへ電話。仕切りなおして乾杯。「「メリークリスマス。」」爆笑。
楽しかったです。そのあとは準備した泡風呂へ移動し煙草とシャンパンを嗜みながらふざけてじゃれあってセックスをしました。プレゼント交換もしました。ベットの上でプレゼントにはしゃぐ彼の姿を眺めて、きちんと恋人らしくクリスマスに贈り物をし合うのが、こんなにもいいものだったとは、と実感しました。「こんなクリスマスらしいことしたの初めてだよ。」との彼の言葉も戴けました。
自身の顕示欲と自尊心は大いに満たされました。後日、クリスマスに何したの?という女友達同士の会話のなかで、「私たちは恋人らしいことしたよ。」と詳しく話すと、「えぇ!あの彼とそんな過ごし方したの!めちゃめちゃいいじゃん!」と皆驚き、感心してくれました。
そして「よかったね。」と言ってくれました。そう、よかったのです。顕示欲だとか過信だとかは置いておいて、彼に恋する一人の女の子として、彼と、彼にとってきっと特別なクリスマスを過ごせたであろうことが、とってもよかったのです。うれしかった。しあわせでした。
2015年12月。今私は一人でポケットに手を突っ込み、煙草を咥えながら歩いています。自身を特別視する気持ちは一切なく、街々のカップルの横を「仲よさそうで何より」と、優しい気持ちですり抜けますが、デートをデートと称することに対して不真面目なままです。2年ぶりにできた恋人とは4カ月で別れました。
別れた「3カ月しかもたない元彼」とはたまに会いますし、遊んだりもしますが、彼の横にいる女の子はもう間もなく3年目を迎えるのではないかしらと記憶します。私の中で、私としかするはずがない、当時私にしか与えられないと思っていた旅行やプレゼントをする彼らを、写真で時々見かけます。きっと今年のクリスマスも一緒に過ごすでしょう。どうやら彼女はキリスト教ではなさそうなので、性の6時間も過ごしちゃうかもしれません。
あぁ。なんたる惨めさ。恥ずかしさ。格好悪さ。
あのクリスマスがいい思い出だったことには違いないし、今は誰に合わせてでもなく自分のために、それが私にとって普通なので顕示欲のためでもなく、彼ともどうしても4カ月しかもたなかったのだからなにも後悔していないけれど。なにも後悔することなんてないけれど。
キリストの生誕とは別に、少しあのクリスマスにも思いを馳せる。24歳のクリスマス。