私の尿意戦争
おしっこがしたい。
私は昔から学業を終え帰宅するなりまずは便所に入り、用を足す子供でした。
それもわりとギリギリの状態で駆け込むタイプの子供でした。
私はマンション住まいだったため、マンションのエントランスにはいる頃にはもう結構なおしっこしたい状態になっていて、インターホンを鳴らし、親が出てくれると「おしっこ〜!」と答えてオートロックを開錠してもらっていました。
扉を開け、エレベーターの前に立って上階行きのボタンを押し、エレベーターが到着するのを股を交差させもじもじしながら待つ。より限界が近いときは監視カメラに背を向け、映らないよう注意を払いながら股間に直接手を当て押さえる。扉の開閉時はエレベーターの中に人がいる可能性と、これから駆け込んでくる人の可能性を考慮して一度姿勢を正す。扉が閉まるとまた股間に手を押しつける。
3階に着くまでの時間をなるべく関係がないことに思慮をめぐらせながら、もしくは「私は絶対大丈夫。これくらいなら我慢できる。こんな尿意いくつも乗り越えてきたはず。」と自身を励ましながら過ごす。3階に着く頃にはもはやなりふり構わず、股間に手を当てたまま、一番角部屋の我が家をめざす。我が家のドアの前に立ち、片手は股間に添えたまま、ランドセルを胸のほうにぐるりとまわし、鍵をまさぐる。鍵を取り出し、がちゃりと開け、扉を勢いよく開くと、足だけを使って乱暴に靴を脱ぎ、ランドセルを廊下に投げ出し、トイレへと駆け込む。まだ、安心ではない。
トイレにはいると太ももと太ももを器用に押しつけ合って股間を抑える状態を保ちながらショートパンツのボタンを開けジッパーを降ろす。ジッパーが若干かんだりする。そういうときはもう声に出してしまう。「まだ大丈夫だよ〜。まだ大丈夫なはずだよ〜。あっとすっこし!あっとすっこし!」唱えながらやっとの思いでショートパンツごとパンツも降ろす。降ろしながらおしっこがでている。渾身のスピードで便器めがけおしりを打ち付ける。
ッシャーーー
間に合った。
こんな具合に、ほぼ毎日の帰宅時、尿意と戦っていました。
そのことを思い出したのは、実家に帰省するなりトイレに入る私をみて、母が「あんたまだ帰ってきたらすぐトイレなのね。」と呟くのを聞いて、「あ、はい。これって異常なのね。」と気付き、過去のおしっこしたい欲求について思いを巡らせることとなりました。
高校生になってからは忘れていたんです。放課後、部活に参加したり友達と街に寄って31のアイスクリームを食べてから帰ったり。帰宅時間や行動内容がバラバラになることによって、おしっこをしたいときにするようになり、帰宅時にトイレに駆け込むことはほぼなくなりました。
尿意に苛まされる日々には、尿意と戦う日々とは、別れを告げていたんです。
しかしそれはつかの間の別れでした。尿意との戦いがより一層激しさを増すとは。むしろ、負け戦ばかりになるとは。谷間に汗かいてるのエロくね、と気付きだしたばかりの私は知る由もありませんでした。
時は過ぎて、私は大学に入学をします。相変わらず尿意による脅威を忘れ平和に過ごす私は、サークルに通ったりカフェ飯を食べてから帰ったりして、帰宅時の尿意とは無縁になります。
そうして過ごすうち、20歳を迎え、お酒を飲むようになるのです。
そう、お酒。お酒を飲むとトイレが近くなる、と聞いていて、周りのお酒を飲む人たちが居酒屋で頻繁にトイレにたつのを見て、そんなにもかね、なんて傍観をしていましたが、少女時代に前述のように膀胱を苛め抜いた私が受ける利尿作用は、周りの人とは比べ物にならないほど強烈なものでした。
まずはビール!の、最初の一杯で3回はトイレへ。
その後も一杯につき2,3回はトイレへ。
お酒がまわるにつれて膀胱の限界とおしっこ欲求と「私おしっこしたいなんて思ってませんけど」というくだらない見栄が自身の中で交錯し、ギリギリまで我慢した後いかにバレないよう股間押さえてトイレにいくかという謎の行動にでるように。
酔っているためトイレの個室の中では一人で「あー、おしっこでてますー。出していいところでだせてよかったですー。まだ酔ってない。まだ大丈夫。」と一人で会話。そろそろお開きかも、という頃合いを見計らいこっそり締めのトイレへ。
そろそろ帰ろうか、と提案されたところで、誰かが「あ、私帰る前にトイレ行きたい〜」というのに便乗し、しれっと「あ、私もいっとく〜」と締めの締めのトイレへ。みんなと別れて電車に乗り込んでから、素知らぬ顔して途中下車し、駅のトイレへ。電車に乗りなおし自宅最寄りの駅のトイレで最後の放尿を果たす。
帰宅時の尿意と戦うどころか、お酒を飲んでから我が家に帰るまでの家路、ずっと臨戦態勢の長戦が幕を開けるのです。
というわけでお酒をのむようになった私はいまも自身の膀胱と尿意戦争の最中であります。お酒をのむとやはり人並みに理性を失うわけで、さらにこの尿意戦争は緊迫した状態に陥ります。大学生になってお酒を飲むようになってから本年24歳を迎えるまで、私の負け戦について、いくつか紹介しておくと、
○近所で開かれた飲み会の帰り、近いから徒歩で帰ると意気込んだ道中、コンビニに寄るのにも耐えきれずビルの隙間で放尿。
○あるクラブで開かれたパーティー中、トイレがなかなか開かず、抜け出してうろうろ徘徊するも耐えきれず住宅の影に隠れ放尿。
○オールナイト明けの電車の中、我慢できずにタイツ越しに少し漏らし途中下車。障害者用トイレの空を確認し、嬉々として勢いよく扉をあけるとなぜか中で青年が鍵をかけずに放尿中で、そのショックですべてを漏らす。
犯罪だろうか。齢24にしてここまでくるとこれはもう犯罪の域だろうか。最早、はしたない、恥ずかしいという概念は私の中ではかなぐり捨てられ、なんとかトイレで、できればトイレで、無理なら人知れず、というおしっこマシーンになってしまっている、なり下がってしまっているのだ。負けである。負けっぱなしである。少女時代勝ち越していた尿意戦争に白旗を上げ続けている。すべてお酒が入って酔っ払ってしまっているときの出来事とはいえ、我ながらまあ、酷い有様である。素面の私はもちろん路上で野ションなんてしない。それが最低でいかに恥ずかしい行為であるかというのも理解している。
この前彼氏がおしっこみたいと言ってきた。いや、彼氏が言ったのではない。セックス行為のなかで試したいことがあるか、というピロートークのなかで、おしっこが話題にあがったため、おしっこ見る?と私が提案したのだ。その提案をする時点でいろいろ終わっている気もするが、じゃあせっかくだし、と彼氏がこたえてくれたので、トイレでおしっこしているところを見せることになった。
便器に座り、さぁいざとなって用を足そうとしたが、これがでないのだ。あれ?恥ずかしいかもしれない、という気持ちが頭をよぎり、膀胱のギリギリのところまではいくのに、体外から放たれるその瞬間が恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないことに気付いてしまった。全然でなかった!恥ずかしくて!恥ずかしい!おしっこ恥ずかしい!意気揚々とトイレにひきつれておいて、いざ小便しようとすると赤面してしまって全然だせなかった!最終的に出したけど。頑張って出したけど。彼氏もなるほどっていってくれたけど。
もう大人になるのだから、私はこの尿意戦争に勝たなくてはならない。どうにかしなければならない。いまはまだ漏らしている現場を、あの障害者用トイレにいた謎の青年にしか目撃されていないけれど、このままではマジで人としてだめになってしまう。彼氏に見せるのも恥ずかしいおしっこを。その恥ずかしさゆえ趣もあるおしっこを。酔っ払った勢いで尿意に負け、誰かに見られる可能性を選択してまで野に放つなんて正気の沙汰ではない。
ていうか一成人として。バンドやってるし、アルバイトだし、お金の管理全然できないし、ライブハウスで脱ぐし、朝も弱いけど、おしっこぐらいトイレでしたい!おしっこぐらいトイレでできるようになりたい!なんとかしたい!おしっこしたい!なんとかしたい!
と、思っていたのですが。
最近ある男性の尿漏れがひどい話を聞いた。用を足してトイレから戻りベットに腰かけたら自身のイチモツからチョロチョロとだしきったはずの尿が漏れたらしい。
もうボロボロの蛇口と、そのボロボロの締まり具合を呪いながら付き合っていくのと、ちゃんとしているように見えるホースがついている蛇口から、ちゃんと閉めたはずなのに水が漏れてくるのとでは、後者の方がショックが大きいな、と思った。なんか、自分を許した。
尿意戦争だなんて敵意むき出しにして膀胱のせいにするのはもうやめて、少女時代の私が私によっていじめ抜いたこの膀胱と、うまく付き合う道を探します。おむつとかはくか。
なるほど、譲歩。これが大人になるってことね。