1990年代アダルトビデオの奇跡 Vol.18
2016-10-14
コラムニスト:東良美季

平野勝之・編 第4回


何故カメラは撮り手の思惑すら超えて暴走するのだろう? 逆に言えば机上の思惑通りに撮った作品ほどつまらないモノはない。 アダルトビデオ史上、最も遠くまで辿り着いた作品、 1990年代最高の名作『わくわく不倫講座』、その前編です。

 さあ、今回と次回の2回ぶんを使って、いよいよ平野勝之による不朽の名作AV『わくわく不倫講座』(1995年・V&Rプランニング)について語っていくことにしよう。
 とある文芸評論家──三浦雅士だったか川本三郎だったか、違っているかもしれない──が、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を評して「日本文学の中で最も遠くまで行った作品」と書いたことがあるが、それに即して言えば、『わくわく不倫講座』は「最も遠くまで行ったAV」である。もうこんなAV作品が、二度と作られることはないだろう。それだけ90年代のある時期まで、アダルトビデオは信じられないくらい自由な表現だったのだが、それにしても本作はまったくもって衝撃的だった。

 個人的には、この2年前にリリースされたカンパニー松尾による『日本縦断タダ乗り紀行 Tバックヒッチハイカー〜南へ急ごう!』(1993年・V&Rプランニング)を観たとき、もうこれ以上の作品は現れないだろうと思った。なぜならそれは、やはりAVというのは悲しいかな予算や人員に限界があり、その中では異例とも言える1週間のロケ、しかも〈東京〜鹿児島〉までのヒッチハイクという斬新な企画、そこにカンパニー松尾というトンでもない才能も必要不可欠であったが、何といってもこの作品には「旅」というモノが生み出す数々の奇跡があり、それが数々のドラマを生んで傑作に至ったのである。


 
 では、平野勝之はそのハードルをどのように超えていったのか? それを説明するために前回までシツコク、〈ポストダイレクトシネマ〉という言葉を呪文のように唱えてきた。それと、平野の作品は松尾やバクシーシ山下のそれと比べるとやはり少し判りづらい。AVらしいサービス精神は少ないし、登場人物も身内ばかり(高槻彰、井口昇、原達也、etc.)で、下手をすると仲間内でギャーギャーやってるムチャクチャなAVと取られかねない。実際90年代には、平野勝之のことを「AVでサブカルやってるヤツ」としか見てないAV批評家は多かった。でも、そういう見方しか出来ないのって、AVに限らず映像を見る上で本当に不幸なことなんだよと僕は主張してきたつもりだし、今こうして20年以上の月日が経ってアダルトビデオを取り巻く状況は大きく変わった。確かにAVは売れなくなったと言われるが、それは単に「エロDVD」が売れなくなっただけに過ぎない。けれど一方で平野や松尾、バクシーシ山下らのAV作品が劇場で観られるようになった、「作品」として楽しむ土壌が生まれた。サブカルチャーのあり方としたらそちらの方がずっと面白いし、映像を愛する人たちにとっては幸せなことだ。少なくとも、僕はそう考える。

 ともあれ、本題に入ろう。まずはその〈ポストダイレクトシネマ〉というモノについて簡単に定義してみたい。マンガ家時代の平野作品や撮影日記などがまとめられた単行本『ゲバルト人魚』(洋泉社刊・1994年)に、批評家であり元々は個人映画作家、山崎幹夫さんによる「ポストダイレクトシネマの旗手、平野勝之」という一文がある。これを参考にさせてもらいつつ僕なりの解釈をこころみるならば、〈ポストダイレクトシネマ〉とは「カメラ自身がまるで意志を持ったかのように撮り手の思惑すらも超えて暴走する映画」である。とはいえSF映画よろしくカメラが本当に意志をもつワケじゃない。そのあたりのことは本稿〈1990年代アダルトビデオの奇跡 Vol.14〜バクシーシ山下・編 最終回〉で、代々木忠『ドキュメント ザ・オナニー』(1982)を例に簡単に触れた。ではいったいなぜ、カメラは撮る人間の思惑すらも超えてしまうのであろうか? その意味を探りながら、この名作『わくわく不倫講座』を見ていくことにする。110分2部構成、本章ではその第1部を中心に──。



 この作品の前年、平野は志方まみという企画系のAV女優で『アンチSEXフレンド募集ビデオ』(1994年・V&Rプランニング)という作品を撮る。このタイトルに、ほとんど意味は無い。当時ゴールデンキャンディというメーカーの『SEXフレンド募集ビデオ』というシリーズがやたら売れており、その(かなり悪意のある)パロディである《注1》。内容はこうだ。当時平野は私生活で一般女性と婚約し、彼女を連れて故郷の浜松に戻ることになる。その時、実際の婚約者ではなくAVギャルを連れて行き「実はこの娘は婚約者ではなく、単なるSEXフレンドなんだよ」と言えば親は怒りまくり大騒ぎになるであろう、それをカメラに収めればさぞ面白い作品になるのではないか、という思惑である。

 しかし、結果から言うとこの作品は失敗作であった。平野の両親は彼がAVを撮っていること、AVギャルを婚約者と偽って里帰りしたことにさしたる感情は示さず、逆に「まあ、この息子のことだ。東京でそのくらいのコトはしてるだろう」と大きな愛情で受け止めてしまうのである。結局、平野が志方と両親と寿司をつまみビールなんぞ飲み、和気藹々としたところで物語は終わる。
 ところが、この作品には妙なオマケが付いた。嘘から出た誠とでも言おうか、偽の愛人だったはずの志方まみが平野に好意を持ち、二人は平野の結婚直前にも関わらず愛人関係になる。『わくわく不倫講座』はこのように始まる。平野はテロップでこう語る。<彼女の良いところも悪いところも含めて、ドキュメンタリービデオを撮ってみようと思った>と。ただ、<何故そう思ったのかはよくわからない>とも付け加える。ココ、ポイントです。覚えといてください。



 まずは『アンチSEXフレンド募集ビデオ』のダイジェスト的なプロローグがあって、本編は平野の結婚を祝っての宴会から始まる。そこには当然のように志方もいる。平野の妻(「ハニー平野」と呼ばれる)も、顔出しでちゃんと出演する。平野作品では重要なAV嬢、藤香澄に甲月季実子、そして高槻彰、井口昇、小坂井徹、カンパニー松尾といった仲間たち。けれどその後に続くのは、平野と志方の初めは楽しげながら、しだいにイラ立ち嫉妬しあい、傷つけ合っていく姿である。平野はそれを実にシツコク、これでもかというくらい延々と撮り続ける。巧妙な編集とあざといほどのモンタージュで切り抜けてはいるものの、観る側は下手をすれば、「何だって監督と愛人の痴話喧嘩を見せられなきゃならんのか」と思う。

 さあ、問題はココだ。  この時点で既に、カメラは平野の思惑を超えている。「彼女のドキュメンタリービデオを撮ってみようと思った」のなら、この時点でそれなりの見せ場と結末を見つけ終わりにすることも出来たのだ。傑作とは言えないが、不毛な愛人ゴッコを描いた小品ドキュメントAVくらいには成りえただろう。しかし平野は志方まみを撮るのをやめない。志方はそんな平野の行為にやがてうんざりし、疲れ果て、連絡を絶つ。そしてついには電話番号が変えられ、志方まみは遂に平野の前から姿を消す。そこで第1部は終わる。しかし作品は終わらない。なんと第2部は、志方まみ抜きで、志方まみのドキュメンタリーAVが続くのである。



 何故カメラは撮り手の思惑すら超えて暴走するのだろうか。簡単に言えば、人間の思惑や計画がいかに曖昧なモノであるかということだ。平野自身、おそらく無意識にだろうがそれを悟っているし巧妙に表現もしている。前述の「何故そう思ったのかはよくわからない」というテロップがソレだ。果たして自分は本当は何が撮りたかったのか? 実は『アンチSEXフレンド募集ビデオ』の時からボタンの掛け違えがあったのだ。平野は何故前作が失敗したのか気づいていない。だからこそ彼は志方まみを撮ろうと思ったのだ。しかし、平野が撮りたかったの本当に志方まみだったのだろうか?

 しかし、逆に言えば机上の思惑通りに撮った作品ほどつまらないモノはない。前々回でも書いたが、自主映画監督になる前にはマンガ家だった平野勝之はそのことを知り尽くしていた。アタマの中で考えたコトなんてつまらない、そんなモノは現実の前ではまったく魅力が無い。けれど、じゃあ現実っていったい何なのだ? それは本当に自分の撮りたい対象であったり風景であろう。しかし、それは確かに自分のアタマの中にはあるものの、ハッキリと掴めていないモノ、つまり無意識下に潜んでいる現実である。
 カメラが撮る者の思惑を超える。それはカメラが自我を超えてエスの領域へと入り込んでいくということだ。後に詳しく説明をこころみるが、精神分析で言う「自我」とは人間が自分で自覚し、ある程度コントロール出来る心の領域をいい、「エス」とはそのコントロール外にある部分、つまり無意識が宿る領域である。  では、平野勝之が本当に撮りたかった対象と風景、現実、意識、それはいったい何だったのだろう?
 その問いは『わくわく不倫講座』の第2部で明らかにされる。そこは、アダルトビデオが最も遠くへ辿り着いた場所であった(続く)。



 《注1》なぜ「悪意のあるパロディ」なのかというと、本家ゴールデンキャンディの『SEXフレンド募集ビデオ』が、単にギャラの安い企画女優が数名出演。ただセックスをして、最後カメラに向かって「私、セックスフレンド募集してま〜す!」というだけの内容で、おそらく(当然?)本当には募集などしてなく、ユーザーの応募も受け付けていなかったであろうことから、そのような安直なAVが「売れている」という現実に対するアンチテーゼだったからだ。





※キャプチャは『アンチSEXフレンド募集ビデオ
東良美季プロフィール

東良美季(Tohra Miki)1958年生まれ。

編集者、AV監督、音楽PVディレクターを経て執筆業。
著書に『猫の神様』(講談社文庫)、『東京ノアール〜消えた男優 太賀麻郎の告白』(イーストプレス)、『代々木忠 虚実皮膜〜AVドキュメンタリーの映像世界』(キネマ旬報社)、他。

日刊更新ブログ『毎日jogjob日誌』http://jogjob.exblog.jp/

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