1990年代アダルトビデオの奇跡 Vol.10
2016-02-22
コラムニスト:東良美季

バクシーシ山下・編 第2回


何も無かった世代が見た何も無かった時代とは?
DCブランドブームは終り、新人類ももはや新しくはなく、
忌野清志郎も「愛しあってるかい?」とは叫ばなくなっていた頃。
時代観察者としてのバクシーシ山下、序説です。


 カンパニー松尾によるAV史上に残る名作、『Tバックヒッチハイカー〜南へ急ごう!』の中に印象的な場面がある。それは松尾と同行のAV女優・高橋あゆみが、東名砧インターで約3時間ねばったあげくにやっとヒッチハイクを許されて車に乗り込んだときだ。ドライバーは帰省途中というロンドン帰りの若い銀行マンで、世間話のうちに彼と松尾が同い年だということがわかる。銀行マン氏が「何も無かった世代ですよね」と苦笑すると、松尾も「あったのは校内暴力くらいっスかね、アハハ」と笑うのである。

 何というわけでもない場面、何でもない会話である。しかし何故かコレが引っかかった──ココから始めてみよう。〈バクシーシ山下・編〉の第2回、である。



 バクシーシ山下はカンパニー松尾よりもさらに2つ年下の1967年生まれ。僕は自著『アダルトビデオジェネーション』(メディア・ワークス/1999年)というインタビュー集の中で、<ちなみに1967年といえばモンタレー・ポップ・フェスティバルが開催され、ビートルズは初めてマハリシ・ヨギに出会い、モハメド・アリが徴兵を拒否し、ブライアン・エプスタインが死に、チェ・ゲバラが死んだ年でもある>と書いた。なぜこんなことを書いたのか、もう15年以上も前のことなので記憶がさだかではないが、おそらくユースカルチャー的に色々と面白い事件がすでに起ってしまっていた、という事実を言いたかったのだと思う。続いて1970年にはビートルズが解散、72年にはあさま山荘事件、76年にはザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」(マーティン・スコセッシ監督による同名ドキュメンタリー映画の公開は1978年)と、いわゆるサブカルチャー的な〈終りの事件〉が、彼が10才になる前にすでに〈終ってしまって〉いた。もちろんバクシーシ山下にとってその事実がどのように影響したか、あるいはまったく影響しなかったのかはわからない。

 しかし後のバクシーシ山下こと、山下浩司青年が高校を卒業し、岡山県から駒沢大学に入学するために上京してきた(正確に言えば最初の2年間は北海道にある分校キャンパスに通ったそうだが)1985年前後とはどんな時代だったのだろう? DCブランドブームは終り、新人類ももはや新しくはなく、忌野清志郎も、もうステージで「愛しあってるかい?」と問いかけなくなっていた。RCサクセションの熱狂はひとまず落ち着き、1987年には清志郎は渡英し、イアン・デューリーのバンド、ブロックヘッズをバックにソロアルバムを作る。そして翌年には反原発を唄った『COVERS(カバーズ)』が発売中止となり、時代は一気にシリアスな状況と化す。



 山下もまた、カンパニー松尾が言う「何も無かった時代」を体感していなかったとは言えないはずだ。本人も前掲書『アダルトビデオジェネーション』の中で、その学生時代を<地味な大学生でしたよね。あんまり大人数とかで遊んだりするのも苦手で、友達も少なかったし。バイクに乗るのが唯一の趣味という暗い青年(笑)。とにかく、バイトしたり学校行く以外はずっとバイクに乗ってるっていう、それしか趣味らしいものもない、そんな大学生。そうですね、だからバイト代なんかもうほとんどバイク関係に消えるという>と語っている。

 またそんな学生時代、山下がAV男優をやっていたというのは意外と知られていない事実かもしれない。本人は様々なインタビューで何度も語っているのだが、バクシーシ山下が加藤鷹やチョコボール向井と同じ職業をしていたということが、あまりにイメージが違い過ぎるのだろうか(笑)。それ以前は歌舞伎町の入口でテレクラのティッシュ配りをしていたそうだ。本人曰く「当時腰まで届く長髪だったので、何処もバイトで雇ってもらえなかった」らしい。そりゃそうだ、80年代の後半と言えば、ほとんどの若者が刈り上げで前髪ハラリの吉川晃司かチェッカーズみたいな髪形だったんである。



 しかし山下青年は何かファッション的なポリシーがあって時代にそぐわないロン毛だったのだろうか? バクシーシ山下が男優としてV&Rに出入りし始めるのが1988年頃。カンパニー松尾・原作+井浦秀夫・画の劇画『職業AV監督』にはこんな場面がある。安達かおるの制作担当だったカンパニー松尾が「フツーっぽい風貌(変態っぽくない)の男優をキャスティングしろ」と言われ、なぜか気になっていた「山下くんはどうですか?」と言うのだが、安達かおるは「ウーン、イイけどあの髪形は目立ち過ぎるなあ」と答えるのだ。松尾は「そうだよなあ、でも、あんな長髪にしてるってコトは相当のコダワリがあるんだろうなー」と思いつつ山下に打診、すると山下青年は「あっ、イイっスよ」とアッサリ髪を切って現場に現れるのである。個人的に、『職業AV監督』の中で最も好きなエピソードである。カンパニー松尾、安達かおる、そしてバクシーシ山下の個性が見事に出たいいシーンだと思う。

 つまり何が言いたいのかと言うと、バクシーシ山下という人の不思議な個性である。ポリシーがあるようで無く、頑固そうで実はフレシキブル、時にいい加減に見えてしかしある場面になると徹底的に何かにコダワリ続ける。まるで水のように捉らえどころがない。カチンカチンに凍っていたかと思うと融けて水になり、ときに沸騰して熱湯になるような──これが山下作品を読み解くカギになると思う。以降、頭の片隅に留めておいてください。



 さて何も無かった世代が見た、何も無かった時代──それはいったいどんなものだったのだろう。男優をやっていた頃の事をバクシーシ山下はんなことを語っている。
<「まあ、とにかく意識がただのバイトですからね」と山下は笑う。「好きでやってたわけじゃないから。朝集合した時からもう『早く終わンねーかな』って考えてる(笑)。他にも男優同志の付き合いみたいのもすごく嫌でね。苦手なんですよ、男優がたくさんいる現場なんかだとみんな盛り上がって話してたりする中で僕だけ、ポツンと一人でいる。向こうも『変なヤツだなー』って思ってたでしょうね」>(『アダルトビデオジェネーション』)

 またシャリオというメーカーでは男優と兼任でADの仕事も任されていたという。それに関しては、<ADっていってもやっぱりヤル気なかったですね(笑)。シャリオで僕に仕事くれてた監督さんってのがピンク映画のひとでね。足で字を書くというか、もう『ビデオなんてマジにやってられっかよ』っていうのがミエミエなんですよ。まあ、プロの仕事はプロの仕事なんですけど、でも手を抜いて撮ってるのは明らかで>(同)。




 つまり、ココで明らかにしておきたいのは、何も無かった世代の山下青年だが、やはり「何も無いAV業界」には距離を取りつつもかなり強い「違和感」を感じているということだ。以前本欄で<カンパニー松尾はバブル前期のAVにウソ臭さを感じていたはずだ>という意味の事を書いたけれども、山下の抱いた「違和感」はそれに近いと思う。ただし、同質だけど少しだけ違うように見える。けれどそのわずかな違いが、松尾と山下の作品上の大いなる差違に繋がるのだ──というところで今回は終了。次回はそんな<何も無かった時代の観察者>について、さらに深く考察していきます(続く)。

※キャプチャは「スーパー女犯
東良美季プロフィール

東良美季(Tohra Miki)1958年生まれ。

編集者、AV監督、音楽PVディレクターを経て執筆業。
著書に『猫の神様』(講談社文庫)、『東京ノアール〜消えた男優 太賀麻郎の告白』(イーストプレス)、『代々木忠 虚実皮膜〜AVドキュメンタリーの映像世界』(キネマ旬報社)、他。

日刊更新ブログ『毎日jogjob日誌』http://jogjob.exblog.jp/

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