1990年代アダルトビデオの奇跡 Vol.9
2016-02-09
コラムニスト:東良美季

バクシーシ山下・編 第1回


今AVはとんでもないコトになっている──!
それが初めてバクシーシ山下作品に触れた時に感じた印象だった。
AVアイドルの時代からバブルの崩壊、そして企画女優の時代へ、
歴史性とルーツを持たないが故に画期的な山下作品の謎とは?


 さて何から書き始めようか──? というのが現在の僕の正直な気持ちである。もちろん、今回から始まる〈バクシーシ山下・編〉について、である。

 バクシーシ山下ほど、わかっているようでわからない人はいない。こう書くとまるで彼が変人でとっつきにくい人のように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。バクシーシ山下は気さくで穏やかで常識があり、少なくとも人前では陽気で、特に取材やインタビューの場では非常にサービス精神溢れた人物である。私的な場、つまり一緒に酒を飲んだりバカ話をしてもとても楽しい人だ。

 もしも彼にミステリアスなものを感じる人がいるとすれば、それは時折自作に写り込む彼の姿や言動がとてもクールだからだろう。特にV&Rプランニング社員時代の80年代後半から90年代半ばくらいまで、彼は病的なほど痩せていたし(肺に穴が開いてしまう自然気胸という病気で2度ほど入院した)、腰まで届きそうなロングヘアーを無造作に後ろで縛っていたスタイルからも、いささかエキセントリックな印象を持たれたかもしれない。ただ、僕が初めてバクシーシ山下に会ったのは彼がまだ20代の半ばくらいであったが、その時からとても礼儀正しくてにこやかな青年という印象があった。


 しかし──だからこそバクシーシ山下、そして彼の作品を語るのは難しい。もしも彼がもっと風変わりだったり、パワフルで押しが強い性格だったとしたら、その作品の解読はもっと簡単になるに違いない。たとえば村西とおるのように。けれど言うまでもなく、だからこそバクシーシ山下の作品は素晴らしいのだけれど。

 さて、僕がバクシーシ山下というAV監督の存在を知ったのは1991年か1992年頃。コアマガジンから発行されていたAV情報誌『ビデオメイトDX』の誌上において、である。当時の僕はAV監督を辞めて1年ほど。ライターとしてやっていきたかったのだがなかなか書かせてもらえる媒体がなく、旧い友人だった同誌編集長・松沢雅彦に頼み込んでレイアウト(誌面のデザイン)の仕事をやっていた。だからアダルトビデオとは少し距離があった。当時のAVに少し疎かった。ちなみにデザインしていたのはカラー10数ページを使った故・永沢光雄によるAV女優へのロングインタビュー、「完全攻略」というページだった。これは後に名著『AV女優』(ビレッジセンター出版局〜文春文庫)の一部となる。

 バクシーシ山下の作品は後半のモノクロページにひっそりと、しかし強烈な存在感をもって掲載されていた。記憶が曖昧で申し訳ないのだが、『錯乱!監禁陵辱72時間』(1991年)か、翌年の『密室監禁7日間』(共にV&Rプランニング)の現場リポートだったと思う。文章もバクシーシ山下自身が書いていたような気がするのだが、それもハッキリしない。ただし、とても強い印象を受けたことだけはよく覚えている。あまりに衝撃的だったから、否応なく頭に残ってしまったと言うべきか。両作とも無名の企画女優(それもこういった特殊な作品にしか出られない最下層レベルの)と、特殊男優たちを集めて無理やり監禁してしまおうというかなり乱暴な企画である。


 トイレもない状態だから必然的に糞尿描写まで出て来るという、当時のV&Rらしい実にジャンクな匂いのする作品だ。男優陣には花岡じった、ライト柳田、川口たけおという90年代バクシーシ山下作品の常連が顔を揃えており、腕力でも精力においても圧倒的な花岡がライオンのごとく君臨して女をモノにし、柳田や川口がハイエナのようにそのオコボレをもらう(もらおうとして、結局はもらえない?)という、後に何度も繰り返される構図はすでに出来上がっていた。

 この記事を一読した僕の当時の印象は「AVは今、とんでもないコトになっているんだな」というものであった。とんでもないコトになっている──これはバクシーシ山下という作家の個性を読み解くキーワードのひとつだ。以降、アタマの片隅に記憶しておいてください。

 さて、〈カンパニー松尾・編〉でも書いたけれど、僕は1989年の春に専属監督契約をしていた芳友舎(現h.m.p)を辞め、半年ほどアメリカ大陸をフラフラしていた。なぜこの話を何度も書いてしまうかというと、そのたった半年でのAV業界の変化があまりにも急激だったからだ。半年後の1989年11月半ば(ちなみにその月、11月4日に、オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件が起っている。もちろん当時は宗教団体が組織ぐるみで人殺しをするなんて誰も想像すらしなかった)に日本に帰ってみると、村西とおる監督率いるダイヤモンド映像が驚くほど巨大化していて、豊田薫、伊勢鱗太朗という80年代を代表する監督がそこに移籍していた。

 これも今では少々説明が必要だろう。当時の村西とおるは黒木香と共にテレビを初めとしてマスコミに出まくっていて一般人にも広く知られる存在だったが(まだ画家でも俳優でもなく単なるお笑いタレントだった片岡鶴太郎が、白ブリーフ一枚でVカメを担ぐ村西とおるの物真似をやっていた!)、業界的には「鬼っ子」的存在だった。AVメーカー大手5社(宇宙企画・JHV・VIPエンタープライズ・KUKI・芳友舎)は各モデル・プロダクションに対して「クリスタル映像(ダイヤモンド映像以前に村西が所属していた)に女優を出演させるな、出したら商売上の付き合いはやめる!」という脅しに等しい箝口令を敷いた。これは1990年代ソフト・オン・デマンドがセルビデオで台頭したときにも同様のことが繰り返されたし、スケールこそ違えど先日の「SMAP×ジャーニーズ事務所」問題と構造は同じだ。要は、5社は本気で村西とおるをツブそうとしていたわけだ。


 ところがそんな村西の元へ、大手5社を代表するスター監督が二人、KUKIのメインだった伊勢鱗太朗、芳友舎のトップ豊田薫が移籍したのだ。これは青天の霹靂だった。村西とおるがクリスタル映像を離脱し、ダイヤモンド映像設立したのが1988年の9月。つまりダイヤモンド映像はたった2年でAV業界の力関係を180度変えてしまうほどの大躍進を遂げたのだ。さらにその勢いにバブルが拍車をかける。伊勢と豊田の移籍金は数百万円とも言われ、作品1本のギャラはプロデュース料を含めると400万とも500万とも言われた。ちなみにそのわずか半年前、僕の芳友舎時代のギャラは1本25万円+イニシャル制で、3,000本くらいの大ヒットになった時でも40万円程度だった。しかもこれは業界的に見ればかなり高い金額であった。

 しかこのような状況下で、実は二つのマイナーメーカーが虎視眈々と実力を付けていた。風変わりなSMモノや獣姦ビデオを撮るV&Rプランニングと、レイプや戦争物といった奇妙な作品ばかりリリースするヘンリー塚本率いるFA映像プロダクトである。1988年に監督デビューしたカンパニー松尾は、89年10月には『硬式ペナス〜林由美香』をリリース。そして明けて90年5月、いよいよバクシーシ山下が『女犯』で監督デビューする。ただし、この時点では安達かおるもヘンリー塚本も、カンパニー松尾もバクシーシ山下も、まだまだAV界のオルテナティヴに過ぎなかった。

 AVのメインストリームはなんと言っても5社とダイヤモンド映像グループであり、ダイヤモンド傘下では豊田薫が美少女単体レーベル「ヴィーナス」をスタートさせ、90年の8月にはAVライター草分けであり、気鋭のプロデューサーだった奥出哲雄による新興メーカー、アロックスが鳴り物入りでスタートする。そう、賢明な読者はおわかり頂けると思うが、作品及び女優の扱いが〈単体〉と〈企画〉に大きく分れるのがこの時期である。

 さて、こう書くとそのたった1年半から2年余りの時間においてのAV業界のドラスティックな変化に、いかにすさまじいものがあったかが少しはわかってもらえると思う。けれどそういった状況を見ても、僕は決して「今、AVはとんでもないコトになっている!」という印象は持たなかった。後にたった1年半程でアロックスが倒産し、それを追うようにダイヤモンド映像が倒産しても、である。そんなものはバクシーシ山下の登場に比べればたいした問題ではなかった。なぜならそれらには、冷静に考えれば歴史の連続性のようなものがあったからだ。


 このページで以前、カンパニー松尾は「AVを革新的に変えてしまったイノベーターである」と書いたけれど、それでも彼はまだ、初期には宇宙企画さいとうまことを追随するような作品撮っていた。しかしそれに比べバクシーシ山下の作品にはAVにおける歴史的連続性、つまりルーツのような物がまったく感じられなかった。もちろんこれは僕が後に山下作品を数多く見て感じた印象なのだが、少なくとも『ビデオメイトDX』誌に載った『錯乱!監禁陵辱72時間』か『密室監禁7日間』の現場リポート、それを読んだときの鮮烈なイメージは決して間違ってはいなかったと思う。ルーツの無いAV、それがバクシーシ山下の作品である。

 初期V&Rには、写真週刊誌『FLASH』が「本物の強姦ビデオ!」とタイトルを打って社会現象にまでなった、伊勢鱗太朗によるレイプAVの大傑作『侵犯』があり、バクシーシ山下のデビュー作『女犯』はそれに影響を受けて作られたという説が一般的だ。僕もかつてそう書いたこともあったのだが、現在はその発想は間違いだったと思っている。方法論的にはむしろ『いんらんパフォーマンス』時代の代々木忠に似ているのだが、それもあくまで方法論の問題に過ぎず、やはり歴史的連続性は無い。次回以降はバクシーシ山下の監督以前の在り方も含め、そのルーツレスなAVへ辿り着く経緯を考えてみたい。

 最後にこの原稿を書いている時点で、この<PG by HMJM>で公開されているバクシーシ山下の初期作品は、処女作の『女犯』と1992年の傑作『ボディコン労働者階級』の2本。今後どんな作品がアップされていくかはわからないが、ともかく1990年代の山下作品、特にレイプ物にほぼハズレはないと言っていい。というのも何しろ特殊男優にせよ最下層企画女優にせよ、出て来る人物のインパクトが強烈過ぎる。これは取りも直さず1990年代前半という時代性ゆえであり、今後本稿〈バクシーシ山下・編〉のテーマになっていく。また「人間を徹底的に観察し記録していく」という山下ならではの希有な方法論ゆえであり、特にポンプ宇野が最初からトンでもない存在感を示す処女作『女犯』、川口たけおが初登場する『女犯2』(1990年)、ライト柳田が本格的に参戦する『女犯3』(1990年)の3作はマスト。

 また時代は少し先になるが、構成のスピード感と強烈な緊迫感、映像としての完成度から言うと『激犯〜屈辱の面接レイプ』(1997年)を挙げておきたい。これは本編わずか48分足らず。撮影時間もおそらく3時間以下くらいであろうが、1997年度上半期『ビデオ・ザ・ワールド』誌AVベストテンにて、撮影期間が(旅の前から入れると)半年近い、平野勝之監督作品『東京〜礼文島41日間自転車ツーリングドキュメント わくわく不倫旅行 200発もやっちゃった!』を抑え堂々の第1位を獲得した作品である。この『わくわく不倫旅行』とは、言うまでもなく後に『自転車不倫野宿ツアー 由美香』(1997年)と改題され劇場公開された作品である(続く)。

※キャプチャは「ザ・ドキュメント 密閉監禁7日間 垂れ流しの部屋
東良美季プロフィール

東良美季(Tohra Miki)1958年生まれ。

編集者、AV監督、音楽PVディレクターを経て執筆業。
著書に『猫の神様』(講談社文庫)、『東京ノアール〜消えた男優 太賀麻郎の告白』(イーストプレス)、『代々木忠 虚実皮膜〜AVドキュメンタリーの映像世界』(キネマ旬報社)、他。

日刊更新ブログ『毎日jogjob日誌』http://jogjob.exblog.jp/

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