1990年代アダルトビデオの奇跡 Vol.6
2015-12-22
コラムニスト:東良美季

カンパニー松尾・編 第6回


カンパニー松尾の作品を解き明かす鍵は、〈叙情性〉と〈ヒップポップ〉だ。
解像度の低い8ミリビデオの映像で全編通すためには、ロードムービーという形式を取りながら、
映像をサンプリングして切り貼りし加工編集することが必要だった。


 前回、前々回と、〈男と女がSEXする必然性〉と〈物語性〉に関して説明したかったがために、いささか周辺の話題に終始しすぎたかもしれない。従って今回はストレートにテーマを提示します。カンパニー松尾を読み解くキーワードは〈ヒップポップ〉と〈叙情性〉である。ココから始めてみよう。まずは〈ヒップポップ〉から。

 ヒップポップは1980年代初頭、マンハッタンを中心にして生まれた路上アートやブレイクダンス等を含めた黒人文化だが、特徴的なのはすでにあった音源をまるで切り貼りするようにコラージュする音楽性だろう。ハーレムやサウスブロンクスに育った貧しい黒人少年、いわゆるBボーイたちは音楽がやりたくとも高価な楽器が買えなかったために、タダ同然で売られていたクズのような中古レコードの音を数台のプレーヤーで繋ぐことによって、新しい音楽を作っていった。そういった方法論がやがてサンプラーという新しいハードウェアの発明と、その廉価化に従ってブレイクビーツという手法を生んでいくワケだが、この進化の過程は、カンパニー松尾のAV手法と驚くほどよく似ている。

 そもそも8ミリビデオを使った撮影やハメ撮りといった方法論は、80年代半ばに伊勢鱗太朗が使い始めたモノだが、それらはあくまでもプロフェッショナル機材であるベーカム撮影の合間に挟み込まれるいくつかのパートに過ぎず、カンパニー松尾が『私を女優に〜』シリーズで実践したような、全編を8ミリカメラで撮り切ってしまうというのは考えられなかった。伊勢は90年代に入りダイヤモンド映像〈裸の王様〉レーベル後期には、『原発ピンク列島』を始めとする8ミリビデオによるロードムービーを制作したが、今見返すとその映像自体は意外と迫力に欠ける。では松尾だけがなぜ、同様のアナログ8ミリカメラを使用して高いグレードの映像を撮れたのか? それは本連載・第4回で書いたように、彼に高い撮影技術があったこともあるのだが、それ以上に撮影旅行という形式を取りながら、実は8ミリカメラによる解像度の低い撮影の断片をサンプルとして収集。それを編集で加工、再構築したという手法にあるのだ。まさに映像のヒップポップである。


 そのあたりのことを、わかっていてやっている者とわからずに制作している人間との違いは明白に出てしまう。かつてシンプルSANOというAV監督がいた。彼はカンパニー松尾に心酔し、旅プラスハメ撮りという手法で数々のナンパAVを作ったが、松尾と比べると圧倒的な映像の差が出てしまった。僕は当時SANOとは親しい友人であり、だからというわけじゃないが彼の名誉のために書いておくと、シンプルSANOは不器用ながらも真摯なAV作りを続け、ヤラセのないガチンコのナンパAVでいくつもの傑作を残した。しかし本人は松尾を追いかけていたつもりだったのだろうが、根本的に発想と手法が違ったのだ。だからフォロワーでありながら松尾とSANOの作品は似て非なるものとなった。もちろん、その他無分別にデジカムで全編をダラダラと撮り切ってしまう凡庸なAV制作者は言うに及ばない。

 特に、僕を含めた旧世代のAV制作者が『私を女優に〜』シリーズを見てまず驚かされたのは、そのオープニングに流れる印象的な主題歌〈ドント・ストップ、ウォーキング・ワイルドサイド〉が、札幌のストリートミュージシャンの唄を路上で8ミリビデオで録った音源であるということだった。ココですでに松尾は、VTRの音源というのは6ミリのオープンリールテープの音楽や、ナグラ(プロ用の録音機材)で録った自然音をMAスタジオでミックスするという、旧来通りの常識を無視している。要は彼にとって、主題歌すらサンプルされた映像の断片なのだ。その証拠にシリーズ10作目『私を女優にして下さいワールド〜サンパウロ・北京・川崎E・B・D-CUPボーダレス編』(1994年)では、本来はフォークロック調の主題歌〈ドント・ストップ〜〉を加工、時にbpmを変え、スクラッチしてヒップポップ調にしてしまうという荒技まで見せている。松尾はクラッシュ、ジャムといったパンク世代の音楽に少年時代強く惹かれながらも、ギターが弾けなかったのがコンプレックスだという。スチャダラパーを始めヒップポップのミュージシャンにはギターを弾けない人が多いそうだが、そう言った世代的な精神性が、ヒップポップという方法論に近づき易かったのかもしれない。


 また、初期には『私を女優に〜』におけるポスタリゼーションを始めスタジオ・エフェクトを多用していた松尾だが、次第にカメラ側のランダムフリーズ機能を使ったうえに手持ちでブランコのように揺らす、さらにTV画面の水平走査線をワザと狂わせたモノを複写する等々、実に自家製のエフェクトを使い始める。これは音楽の世界ではパンク後期、フライング・リザースことデヴィッド・カニンガムが自宅の段ボールを叩いてエフェクトをかけたという手法に酷似している。フライング・リザースの手法はサンプリング機材の発達により、90年代にオルタナティヴ・ロックや、日本では渋谷系と呼ばれる音楽を通して進化していく。いわゆるローファイや宅録と言われるジャンルへとたどり着くのだ。カンパニー松尾は90年代半ばから日本のローファイ宅録派、パラダイスガラージこと豊田道倫のステージを撮り続け、ビデオクリップを始め『映像集2』『豊田道倫 映像集3 無題』といったドキュメンタリーDVDも制作しているが、そのキッカケは豊田が松尾のファンだったからだという。音楽と映像という違いはあれ、〈ローファイ宅録〉というキーワードで、お互い無意識のうちに惹かれ合うものがあったのかもしれない。

 さてもうひとつのキーワード〈叙情性〉だが、それが最も印象的に現われたのが1993年にリリースされた、『私を女優にして下さい8〜日光・大宮・名古屋B・C・E-CUP爆走ツーリングSP』だと思う。『硬式ペナス〜林由美香』の頃から、松尾の心情を吐露するようなテロップは始まった。かつて松尾よりひと世代上、つまり僕と同世代の批評家やAVライターの中には、それらをセンチメンタル、あるいは自意識過剰と切り捨てる人も少なからずいた。ただ、僕はそういった意見に異を唱えたいし、むしろ大きな欺瞞を感じる。女、あるいはセックスというものを撮っていてなんらかの情を感じない方がむしろ異常だし、エロのみを淡々と写すべきだというのなら、それこそサラリーマン化したAVの流れ作業ではないか。カンパニー松尾の作品の魅力は、ひとりの青年がエロと女とセックスにまみれながら、そこで傷つき同時に何かを学んでいくという姿にある。そもそも松尾の作品が若い世代に強く支持されたのは、世の中には(たとえば村西とおるに代表されるような)オヤジ臭いエロだけでなく、若者特有のトキめき苦悩するエロもあるのだと初めて表現したからだ。


 特にこの作品『爆走ツーリングSP』の後半、故郷名古屋へ風俗嬢〈しゃちほ子〉にバイクで会いに行くパートは秀逸だ。子供の頃に家族でお出かけの際楽しみに食べたカツサンドを食い、撮影が終り実家に顔を出そうかと考えながらカプセルホテルに一人泊る。松尾の作品には時々こうして無垢だった子供時代が回顧される。つまり、セックスを知り一人で気ままに旅をする自由さを得た代りに、失くしてしまった大切な何かへの郷愁である。

「無垢な気持ちを持ちながら大人になることは不可能なのか?」これがカンパニー松尾作品の多くを貫くテーマだが、この作品では特にそれに対する決意のようなものが最後に表明されて終る。こんなふうに──、

<僕にバイクの楽しさを教えててくれた友達は20才の冬にバイクを降りた/兄貴がバイクで死んだからだ/その後その友達は心のセミナーに入会し深夜の電話で僕に涙で入会を勧めた/そんなヤツじゃなかった…/誰もが家庭を持ち、子供を持ち、家を持つ夢を見る/別に悪い事じゃない、いずれ僕もそうなるだろう…だけど…/Keep on riding,Keep on fighting>(続く)

※キャプチャは「私を女優にしてください ワールド」「私を女優にしてください ツーリングスペシャル

【追記】『劇場版 テレクラキャノンボール2013』のキャッチコピー、「KEEP ON FIGHTING,KEEP ON RIDING」の原型がこの、『爆走ツーリングSP』にあるのはお気づきの通り。もうひとつ、文中、<8ミリビデオを使った撮影やハメ撮りといった方法論は、80年代半ばに伊勢鱗太朗が使い始めたモノだが、それらはあくまでもプロフェッショナル機材であるベーカム撮影の合間に挟み込まれるいくつかのパートに過ぎず>と書いたが、伊勢と松尾の間に、いち早く全編8ミリビデオを使って傑作AVを数多く作った、ゴールドマンという天才がいたことも付記しておく。
東良美季プロフィール

東良美季(Tohra Miki)1958年生まれ。

編集者、AV監督、音楽PVディレクターを経て執筆業。
著書に『猫の神様』(講談社文庫)、『東京ノアール〜消えた男優 太賀麻郎の告白』(イーストプレス)、『代々木忠 虚実皮膜〜AVドキュメンタリーの映像世界』(キネマ旬報社)、他。

日刊更新ブログ『毎日jogjob日誌』http://jogjob.exblog.jp/

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