1990年代アダルトビデオの奇跡 Vol.1
2015-10-15
コラムニスト:東良美季

カンパニー松尾・編 第1回


1980年代初頭に生まれたアダルトビデオは、90年代に入ってドラスティックな変化を迎えた。
テーマは2つ。それは時代がバブルを経験したということと、VTRを巡るハードウェアが革新的に進化したということ。
そして何より、カンパニー松尾というトンでもない才能が登場したというコトに尽きる。


 新サイト「ハマジム ザ ワールド」開設、おめでとうございます。ライターの東良美季と申します。僕は長年アダルトビデオについての原稿を書いて来ました。しかし気がついてみれば2010年代も今年で半分が過ぎました。そこで本稿では90年代のAVというものについて、連載で振り返ってみることにしたいと思います。というのは1980年代初頭に生まれたアダルトビデオは、90年代に入ってドラスティックな変化を迎えます。そして、その中心になったのが誰あろうHMJMの「ハメ撮り隊長」ことカンパニー松尾監督であり、彼の盟友・バクシーシ山下監督なのです。

 90年代におけるAVのドラスティックな変化──それは革命的だったと言っても決して大げさではありません。かつて僕は『20世紀のアダルトビデオ』(アスペクト刊・1998年)という本の中で以下のように書きました。<しょせんは裸のアイドル達の動くビニ本であり、淋しい少年達のオナニー・ツールに過ぎなかったAVが、社会を切り裂きその底辺を映し出し、映像全体の未来を探る鍵にさえなり始めたのだ>と。松尾・山下両監督は当時、V&Rプランニングというメーカーに社員監督として所属していました。言わずと知れた「ゴッドファーザー・オブ・アダルトビデオ」安達かおる監督がオーナーだった会社です。

 カンパニー松尾、バクシーシ山下は、安達かおるという稀代のプロデューサーの元、それまでの既成概念に囚われない自由で革新的なアダルトビデオを撮り続けました。その作品と発想は平野勝之、井口昇といった才能を強く刺激し、同じV&Rプランニングの社員だったインジャン古河、竹本シンゴというフォロワーを生み、さらには高槻彰、豊田薫といった80年代初頭のアダルトビデオ黎明期から活躍するベテラン監督たちにさえ大きな影響を与えたのです。「ハマジム ザ ワールド」ではV&Rプランニングさんのご厚意により、当時の作品を配信させて頂けることになりました(※権利関係や肖像権等の事情で全作品とはいかないと思いますが)。この機会に是非ご覧頂けたら、そして本稿がそのささやかなガイドになれば幸いです。前置きが長くなりました。それでは「1990年代アダルトビデオの奇跡〜カンパニー松尾・編」第1回の始まりです。

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 さて、前書きで「1980年代初頭に生まれたアダルトビデオは、90年代に入ってドラスティックな変化を迎えた」と書いた。では、AVにおける90年代とはいったい何だったのか? 端的に言ってしまえばテーマは2つ。それは時代がバブルを経験したということと、VTRを巡るハードウェアが革新的に進化したということだ。そして何より、カンパニー松尾というトンでもない才能が登場したというコトに尽きる。何故なら松尾はその2つの状況をプラスもマイナスもすべて受け入れて映像化した、まさにAV界のイノベーターであったからだ。そんなワケで今回より7回から8回くらいの予定で、カンパニー松尾の作品論に迫ってみたいと思う。とは言え、まずは初回というコトもあって、カンパニー松尾という才能が生まれる土壌となった80年代、つまり前史的なことを説明しておきたい。

 そもそも僕がカンパニー松尾というヘンな名前のAV監督を知ったのはずいぶんと遅い。すでに宮崎レイコ3部作のラスト『熟れたボイン最終章』がリリースされた後だったし、『私を女優にしてください』シリーズの中でも傑作の呼び声高い『岸和田・京都・池尻大橋DAE-CUPデスマッチ篇』が、『ビデオ・ザ・ワールド』誌1992年度下半期ベストテンの第3位に選ばれた(ちなみその時の第1位はバクシーシ山下の『ボディコン労働者階級』)直後でもあった。なぜ僕が松尾、そして山下の登場を見逃してしまったかというと、個人的な話で恐縮だが、僕は1980年代の後半、自身がアダルトビデオの監督であったことに関係する。


 元々は白夜書房という出版社にて『ボディプレス』という名の、エロ本らしからぬケッタイなアダルト情報誌の編集長をしていたのだが、それが1984年から1986年までのこと。要はAVが黎明期から発展期と移り変わる頃だった。そこで取材を通し、当時まだ20代か、30代に入ったばかりだった同世代の若きAV監督たちと出会う。小路谷秀樹、高槻彰、ジャッキー、豊田薫といった人々である。中でもKUKIにて圧倒的にポップでパンキッシュなAVを作っていた伊勢鱗太朗という人と仲良くしてもらい、伊勢のプロデュースで編集者をしながら二足のわらじでAV監督になった。そして1986年に編集者を辞してからは、今度は豊田薫の紹介で彼が中心となっていた芳友舎(現h.m.p)にて、専属ディレクターになり本格的にAVを撮り始めた。

 これが1986年から1989年、ちょうど昭和天皇の崩御があり平成が始まる頃。この時期がアダルトビデオの全盛期、いわばAV黄金時代の始まりであったと思う。当時の芳友舎には豊田薫が独自の世界観で傑作を多発する他に、島村雪彦、神野龍太郎という監督もいて、島村は冴島奈緒や葉山レイコといったアイドル系のAV女優をスターにし、そして神野は豊丸、咲田葵、沙也加といういわゆる淫乱派女優を育て、「淫乱AVブーム」の立役者となる。当時の芳友舎は宇宙企画と並んで業界のトップを切って走っていた。作品が売れに売れて、会社は笑いが止まらなかったはすだ。僕自身も斉藤唯や東清美、前原祐子といったAVアイドルを起用し、3人の先輩監督の作品が売れてるのをいいことに、好き勝手に作品を作らせてもらっていた。でも当時の営業部長氏は酒席で僕にこう言ったものだ。「トーラさんね、今ウチの会社がどれだけ儲かってるか知ったら、アナタたち監督はヤル気なくなっちゃうよ」と。

 芳友舎と昨年亡くなられた元会長・賀山茂氏の名誉のためにも書いておくが、僕らは決して少なくないギャラをもらっていた。豊田さんのギャラは僕の知る限り業界で断トツだったし、監督は全員、1本のギャラの他に最低3桁の年間契約金を受け取っていた(プロ野球選手のように毎年会社と交渉のうえ契約更改をした)。また基本給はあくまでも初回配巻分だけであり、バックオーダーに関しては1本につき幾ら支払われるというロイヤリティ(印税方式)契約もしていた。つまり、作品が売れれば売れるほど監督も儲かったのだ。「ちょっとォ、ぜんぜんカンパニー松尾の話にならないじゃん!」とおっしゃるアナタ、すみません、でもココ、後々とても大切になるところなんです(泣)。つまりはAVバブルの到来であった。何しろ原価100円にも満たない60分のVHSテープに14,800円という定価を付け、それが飛ぶように売れていたのである。これはもう、お札を刷っているようなものだ。いやホント。


 この異常な景気は1992年、村西とおる率いるダイヤモンド映像と、それに続いた新興メーカーのアロックスが、天文学的な負債を抱え相次いで倒産するまで続く。つまりそのお金の儲かり方にどこかインチキな匂いのあるまま、アダルトビデオはその先約6年間も、実にウサン臭い繁栄を続けるワケだ。そしてまだカンパニー松尾と名乗る前の、20才の童貞青年松尾クンが、社長を含め社員が3人しかいなかった弱小メーカー(失礼!)V&Rプランニングに入社するのが1987年の7月。そして初監督作『あぶない放課後2』でデビューするのが翌1988年3月なのだ。つまり、松尾青年は弱冠20才の若くて純粋な感性でそのバブル到来と出会い、AV監督としての修業時代を過ごした。次回以降詳しく語っていくが、僕はココにこそカンパニー松尾という類い希なる才能が生まれた秘密があると密かに睨んでいるのである。

 もう二つだけ蛇足ながら付け加えておくと、カンパニー松尾初監督作『あぶない放課後2』は、伊勢鱗太朗監督による『あぶない放課後』を引き継いだカタチで制作された。当時KUKIの専属ディレクターであった伊勢がなぜV&Rプランニングで監督をしたのかというと、伝説のTV制作会社「テレキャスジャパン」を巡る安達かおるとの師弟関係があり、そしてこの「テレキャスジャパン」こそV&Rプランニング入社以前、10代だった松尾青年が初めてのAD修業をした会社だったという実にややこしい奇縁もあるのだが、コレに関しては説明すると長くなるので省略する(詳しく知りたい方は、カンパニー松尾の青春を描いた傑作劇画『職業・AV監督』〈作・井浦秀夫/秋田書店刊〉をお読みください)。


 そしてもうひとつが時代は少し先に進むが1990年代後半、V&Rプランニングを相次いで退社したカンパニー松尾とバクシーシ山下がAV制作の場として選んだのが芳友舎であり、プロデューサーが前述の神野龍太郎であったということ。松尾は「DOKAN(ドカン)」、山下は「Document(ドキュメント)」というレーベルでそれぞれ傑作を発表することになるのだが、ココで押さえておきたいのは「テレクラキャノンボール」シリーズの第1弾、『テレクラキャノンボール 東京・仙台・青森 爆走1500キロ』が、実はこの場で産声を上げているということだ。つまり1980年代半ばのAV黄金時代から、社会現象にまでなってしまった『劇場版 テレクラキャノンボール 2013』まで、約30年という長い長い年月が、実はカンパニー松尾という一人のAV監督を軸に見事に一本の線で繋がれているということなのだ。この歴史の大きな流れをまずは踏まえてもらったうえで、次回からはいよいよ、1990年代のカンパニー松尾作品をより具体的に語っていくことにしよう(続く)。

※キャプチャは「ボディコン労働者階級
東良美季プロフィール

東良美季(Tohra Miki)1958年生まれ。

編集者、AV監督、音楽PVディレクターを経て執筆業。
著書に『猫の神様』(講談社文庫)、『東京ノアール〜消えた男優 太賀麻郎の告白』(イーストプレス)、『代々木忠 虚実皮膜〜AVドキュメンタリーの映像世界』(キネマ旬報社)、他。

日刊更新ブログ『毎日jogjob日誌』http://jogjob.exblog.jp/

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