ごくごくとセックスを飲み干すことができたなら Vol.9
2017-02-02
コラムニスト:花房観音

さようなら、セックス  〜私を女優にして下さい AGAIN15〜





 罪を犯しているのかもしれない。この胸の痛みは、与えられた罰かもしれないとも、思う。けれど、罪を犯したことのない人間なんて、この世にいるのだろうか。もしもいるとしたら、その人に、あなたは大嘘吐きだと言ってやりたい。


 カンパニー松尾監督の最新作「私を女優にして下さい AGAIN15」を見ました。二人の大阪の人妻と、滋賀県米原で出会った岐阜の人妻さんとのセックス、そして2016年後半の「キツかった」出来事も語られています。


 私の2016年の後半は、いろいろあったけれど仕事は忙しかったし、しんどくて体調崩した時期もあったけれど、それなりに充実はしていたと思う。
 けれども仕事以外で、私はずっと怒りや悲しみ、苛立ちを抱えていた。それは今でも続いている。嫌なニュースばかりが目に入り、暗い気持ちになる。
 アダルトビデオに関してだ。いろんな噂も耳にする。ただ、間違いなく言えるのは、アダルトビデオはこれからいい未来が見えないということだ。
 理不尽だなと思うことも多くて苛立ちは募るし、けれどもAVが抱えていて、今まで見て見ぬふりをしてきた問題に関しては擁護もできない。
 私は20年以上、ずっとAVが好きだけど、全肯定はできなくて、いつも矛盾を抱えていて引き裂かれていた。AVは性欲という、人の欲望を描いたもので、それは反社会的なものだ。けれど確かに存在していて、肯定することで世の中と折り合ってもいける。私にとってAVはそういう存在で、だからこそ反社会的だと批判されたら否定もできない。
 
 でも、悲しい。
 AVに出る人の存在を否定されることも、AVを好きなことも、否定され、時に憎まれると、悲しい。まるで自分自身の存在を否定されているかのようにも感じてしまう。
 AVの中には、いつも、私自身の欲望が存在するから。
 憎んで、引き裂かれてきた、私の欲望が。

 AVは男がオナニーするためのものかもしれないけれど、そこには男以上に、女の欲望が描かれていると、今回、「私を女優にして下さい AGAIN15」を見て改めて思った。
志願兵と呼ばれる、自らAVの出演を望んできた人妻たちの動機は、セックスレスであったり、お金であったりそれぞれだ。そして彼女たちは、ホテルで監督と二人きりになると欲望が溢れて獣になる。荒れ狂う、獣に。何故、そうなれるのか。だってそこは彼女たちの欲望を肯定してくれる場所だもの。スケベになればなるほど、自分も気持ちいいし、エロいセックスができる。


「AVに出る人の気持ちがわからない」
「恋人や夫以外の人とセックスするなんて信じられない」


 そう、言われたことは何度もある。わからないのなら、信じられないのなら、他人事だと放っておいてくれたらいいのに、非難され、時には憎まれてしまう。
 けれど、そういう人のほうが幸せなのかもしれない。結婚という制度を飛び越えたり、AVという不特定多数の人に見られるリスクのある媒体に出演してまでセックスしたがる女の気持ちなんてわからないという人のほうが。
 強い欲望を持つと、自分の中の道徳や社会的なこうあるべきという価値観に引き裂かれる。いけないこと、してはいけないこと、だけど、したい――たとえ失うものがあっても、セックスがしたい――思うだけならいいけれど、行動に移してしまうと、何もかもふりきってしまうか、あるいはそれができないのなら引き裂かれて痛みを感じ続けなければいけない。

 それでも、恋人や夫以外の男と寝て、AVに出る女はいる。

 だって、気持ちがいいから。
 気持ちがいいことが、したいから。
 セックスは何よりも気持ちいいし、これ以上に楽しいことはないもの。


 私はもう、間違っても若いとは言われない年齢になっているからこそ、「気持ちよくなりたい」と、制度や道徳を飛び越えてセックスをしたがる女の気持ちが痛いほどにわかる。ある程度の年齢になると女は自分の衰えを自覚せざるをえない。社会的にも肉体的にも「若い女」ではいられないことを。
 若くないからこそ、切実なのだ。これがもう、最後のセックスになるかもしれない、女性ホルモンが低下して痛くなってセックスできなくなるかもしれない、そもそも性的に自分を求めてくれる男はもういないのかもしれない――気持ちいいこととさよならして、おとなしく老いて死んでいければいいのだけれども、そうはいかない。
 年を取るほどに、女の欲望は切実で狂暴になる。それは老いと死への恐怖からかもしれない。いや、ただ、孤独だから、年を取ると若い頃よりも、いろんなことが見えてきて、期待もしなくなり、孤独を感じるようになるから、人の身体が恋しいのだ。
寂しいから、恋しい。
寂しいから、つながりたい。
寂しいから、セックスしたい、と。

 性器と性器が、肌と肌が交わる一瞬だけは、孤独から逃れられる。
 愛や恋なんて言葉よりも、粘膜のふれあいのほうが、確かなものだから。

 そういう欲望を、醜悪だとうんざりすることもしょっちゅうだ。
 時に、自分を殺してしまいたくなるほどに、その醜さに反吐が出る。
 私は実際に、ずっと死にたかったもの。性欲を持つ自分が、性欲に振り回される自分を憎んでいたし、殺したかった。私は自分の性欲に振り回され、お金も仕事も失い周りの人を苦しめた。
 自分を殺さずに済んだのは、アダルトビデオのおかげだ。
 AVの中で私が見たのは、自分と同じ、過剰な欲望を持つ人たちだった。
 セックスがないと生きられない、制度や道徳を飛び越えて、セックスに生きる人たちが、そこにいた。
 その姿は清々しくもあったし、美しかった。
 今回、この作品を見て、あらためて、女はセックスで快楽を得たときの表情が一番美しいと思った。

 私はAVがあったから、自分を殺さず、社会の中で欲望との折り合いをつけて、なんとかこうして生きていられる。
 そういう人間もいるのだ。

 性の過剰な欲望を、全ての性産業を悪だと、この世から無くそうとする声や、男と女の欲望の絡み合う様に憎悪を滾らせる人たちの声を聴く度に、悲しくてつらいのは、私という存在そのものを否定されているかのように思ってしまうからで、世の中が窮屈でたまらない。

 セックスにさよなら、なんてできないし、セックスを、欲望を、昔のように憎みたくもない。
 切実な欲望を持つのは、心が引き裂かれて痛い。でも、何よりも、「生きている」と感じられもする。

「私を女優にして下さい AGAIN15」に登場する、カメラの前で欲望を解放された三人の人妻は、美しく、「生きて」いた。
 欲望を抑え、優等生として、いい子で生きていくなんて、クソだ。
 だって、人生は限られている。
 ビデオの中だけでも、女たちは自由になり、解放される――。
 そういうアダルトビデオだって、存在する。
 アダルトビデオは、女を解き放ってくれる世界でもある。

 だから、無くならないで欲しい。

 そして、カンパニー松尾さんは、これからもセックスを撮る人であって欲しいです。


  私は、これから先、老いて、醜く、しぶとく、欲望を抱えたまま、生きていく。嫌われても非難されても、私は私のために、セックスと性欲に振り回されたクソみたいな人生を。

 アダルトビデオのおかげで解き放たれ、自由になれたから。
 死ぬまでセックスがどうたらとか言ったり書いたりする、醜悪なエロババアになってやる。
 
花房観音プロフィール

京都市在住の作家、バスガイド。

京都女子大学中退後、映画会社、旅行会社、AV情報誌での執筆等様々な職を経て2010年に「花祀り」(幻冬舎文庫)で第一回団鬼六賞大賞受賞。
官能、ホラーをはじめ、様々なジャンルの小説を執筆。

公式HP:http://hanabusa-kannon.com/

会員登録はこちら
  • YOUTUBEのチャンネル登録する