ごくごくとセックスを飲み干すことができたなら Vol.1
2015-10-15
コラムニスト:花房観音

1、セックスに取り憑かれている


「世の中には、取り憑かれたようにSEXのことで頭がいっぱいの人種がいます。未知なるものとしてSEXに興味を持つ思春期を過ぎても、それが生きる原動力であるが如くSEXに惹かれつづけ、求め、溺れ、拘り、そのために突き動かされ、執着し、振り回される人。僕も花房観音さんもそんな生き方をしてきました」

 拙著「指人形」(講談社文庫)に、AV男優の森林原人さんが書いてくれた解説の冒頭だ。
取り憑かれたようにSEXのことで頭がいっぱいの人種――この一文を読んで、ぼんやりとここ数年思っていたことがはっきりして目の前に光が差し込んだ気がした。

私は今、40代半ばになる。若い頃は、そんな年になったら、「卒業」していると信じていた。何を卒業しているのか、セックスを、性について考えたり悩んだりすることを。結婚して子どもを産んで母親になり家族を作り日常をそれなりに楽しんで年を取っていくだろうと思っていた。
ところがどうだ。結婚して夫とも楽しくはやっているし仕事は忙しく順調で、好きなことやっていて不自由はほとんどない。子どもを産んで母親になることはできなかったけれど、それでも恵まれた日々を送っているはずなのに。

未だに「取り憑かれたようにSEXのことで頭がいっぱい」だ。

朝から晩までセックスのことを考えている。官能や性愛小説を生業にしてしまったから、起きて寝るまでずっとセックスのことを考えている――嘘、それは言い訳で、当たり前に、全てのものごとをセックスに結び付けてしまう。編集者との打ち合わせで、友人との会話の中で、私はいつもセックスの話と、それに関連付けてAVの話をしている。うんざりされたり感心されながらも。
時々、自分は頭がおかしいのではないかと本気で思う。たとえば私がどうしようもない淫乱で見境なくセックスをしているのならまだ理屈はいくらでもつけられる。けれどそうじゃない、とにかく頭が常にセックスでいっぱいで、小説を読んでも映画を観ても「この人とこの人はセックスをしているのだろうか」と気になって、知人や友人や知らない人に対しても「どんなセックスをしているのだろう」「誰とセックスをしているのだろう」と考えずにはいられない自分を馬鹿じゃないかと呆れる。

「仕事だからセックスについてずっと考えている」と他人と自分に対して言い訳を作ってはいるが、もともと官能や性愛小説を書くつもりなんて全くなかった。小説家になる前は、AV情報誌でコラムやレビューを書いていたけれど、それだって予想外だった。文章を書いてお金をもらいたい、小説家になりたいとは願っていたが、アダルトビデオや官能なんてジャンルは、好きだけど自分には書けないと思っていたはずなのに。
結局、取り憑かれているのだとここまできたら気づかずにはいられない。処女で男とつきあったこともない女子大生の頃、好奇心のままにAV界の巨匠と呼ばれる代々木忠監督のドキュメンタリーAVを観た日から、今に至るまで。
田舎の保守的な家庭に育った、当時「お嫁さんにしたい大学NO.1」といわれていた良妻賢母をモットーとした女子大に通っていた私にとってセックスとは好きな人と愛し愛されするもので、初めてセックスした人と結婚して家庭を築き生涯を終えるものだと、信じていたのに。
代々木忠監督の「ザ・面接」という複数の男優が面接に来た女を犯すという、ほぼレイプまがいの作品を観て衝撃で異常なショックを受けた。あれほどの性的興奮以上のものは、未だ味わっていない。自分の中の「性」の価値観が破壊された。あれからずっと多分、私は壊れっぱなしだ。あんなにも人が狂い悦ぶセックスというものを知りたくなった。それからずっと、セックスを知りたくてたまらないままだ。男と寝ても、寝ることだけではわからないことがたくさんある。だからわからないまま、未だに取り憑かれている。


20代の後半に、男からもらったVHSテープにダビングされていたのがカンパニー松尾監督の「熟れたボイン」という作品だった。今のようにインターネットがない時代、私はカンパニー松尾という名前をそれまで知らなかった。極めて個人的な恋愛と、その延長行為であるセックスが映し出された映像に泣いた。セックスと、そこに垣間見える男女の間にある儚いものがひどく切なくていやらしくてたまらなかった。
その少し前にもともと「わくわく不倫旅行」というタイトルでAVとしてつくられた平野勝之監督の「由美香」という作品を偶然観て衝撃を受けていた。AV監督とAV女優が自転車で北海道を旅して、時にセックスして仲直りして食事をして北の果てを目指すドキュメンタリーだ。
今に至るまで、私はこの人たちを追って生きているような気がしてならない。

セックスって何なんだろう――その問いを私はAVに探していた。ドキュメンタリー作品で、セックスを生業としている人たちを追いながら。

30代半ば、ブログにAVのことを書き連ねていたのがきっかけで声をかけられAV情報誌で文章を書きはじめた。40歳目前で小説家になりたいと思い、様々なジャンルの新人賞に応募したところ、官能の賞にひっかかり、思いがけず官能作家と呼ばれ、性愛を書き続けることになる。
私はいつだって自分の意志で、セックスの世界に近寄ったつもりはなくて、流されて今、自分がここにいると思っている。けれど処女の頃、最初に代々木忠監督の「ザ・面接」を観て破壊されてから、私の中のセックスへの渇望と興味が今いる場所に引き寄せられたのだとしか思えない。
小説家になってから一時期は「官能作家」と呼ばれるのに抵抗があり、性を描くことでもたらされる様々なうんざりする出来事がとことん嫌になり、そこから離れようとしたこともあった。けれどやはり私はセックスの世界から逃れられないのだと思い知ったのは、去年、初めてAVの撮影現場に足を踏み入れたからだ。代々木忠監督の撮影現場に行った。目の前で本気のセックスを追う姿を目の当たりにして、私が知りたいのはやはりこれだ、セックスだと思った。

この世で一番楽しくて気持ちよくて儚くて哀しくて残酷で正体不明で怖くて破壊力があって人の人生を狂わし変えるもの、それがセックス。そこに愛という曖昧なものがあろうとなかろうとそれは変わらない。そしてセックスを描くAVとそこにしか生きられない人たち。セックスに取り憑かれ、AVに魅了され、翻弄され流され辿り着いたこの場所から、セックスやAVについて思うことなどを綴っていこうと思う。
共感なんか求めていないし、お前はあたまおかしいとか、気持ち悪いおばさんだと罵ってくれても構わない。

私は知っている。セックスに取り憑かれているのは、私だけじゃない。みんな、普段は「そんないやらしいことは考えてません」て顔しながらも、本当はいやらしいことが好きでセックスの正体を知りたいくせに。
性欲なんかありませんて言いながら、他人をけん制しているだけのくせに。草食系ですなんて自称するのはセックスで傷つくのをおそれているだけのくせに。
セックスは身体だけではなく心も裸にするから、こわい。だからみんな、目をそらして関心ないふりしているけれど、本当は取り憑かれているんだよ、あなたも。

この世で平等なのはセックスと死だけだ。どんなに金があろうが地位があろうが射精の瞬間、男は平等だ。受け入れる穴を持つ女だって同じだ。
たかがセックス、ものすごくくだらないことかもしれないし、なくても生きてはいけるけれど、あったほうが絶対楽しいセックス。扱いを間違えると地獄に落ちてしまう、セックス。セックスが嫌いだろうが、好きだろうが、セックスは何よりも人を揺さぶる行為だ。快楽であり痛みであり破滅行為であり救いでもある、それがセックス。

セックスじゃないと得られない幸せはあるし、AVでしか描けないものはある。短くも長くもないけれど、セックスに振り回されてきて地獄も極楽も味わったことだけが自慢の私の人生で思うつれづれ話を読んでいただけたら幸いです。
花房観音プロフィール

京都市在住の作家、バスガイド。

京都女子大学中退後、映画会社、旅行会社、AV情報誌での執筆等様々な職を経て2010年に「花祀り」(幻冬舎文庫)で第一回団鬼六賞大賞受賞。
官能、ホラーをはじめ、様々なジャンルの小説を執筆。

公式HP:http://hanabusa-kannon.com/

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